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一乗寺浩詩のブログ小説の世界

一乗寺浩詩 書き下ろし小説


一乗寺浩詩エッセイ「いろはにほへと」


一乗寺さん音楽スクールに行く(1)





10月11日は 体育の日。  
その日一乗寺は某都内音楽スクールにいた。 




場所は・・・・ とりあえず渋谷・新宿方面とだけ言っておこう。
そこは知人に紹介された楽事務所が経営している音楽スクール








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一乗寺がなぜ そこにいるかというと
新曲の仮タイトル 「カラテとROCK’N ROLL」
振り付けの為の参考としてダンスを見学させてもらった。






そこのイケテル ダンス講師を紹介してくれるということで
その音楽スクールの中にあるダンススクールの一つの教室にいた。




教室といっても正面に大きな鏡があり 
自分のダンスがチェックできるようになっているダンスフロアー。
このスクールを紹介してくれたのは最近友人になったN氏。




音楽仲間のオフ会で知り合って
近況を報告しあっていたらここを紹介された。 
 





新曲でダンスいれたいんだけど・・・。難しいんだよね。」



「だったらXXXXX音楽スクールの経営者が叔父だから
紹介してあげるよ。
そこでダンスのレッスンやってるから。」




そう言われて紹介されて音楽スクールとは
メールでやり取りして今日の見学の日を迎えた。













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第五回 わたしジャニス・ジョプリンが好きなの(4)





ブライアン・ジョーンズが死に、



1970年、ジミ・ヘンドリックスが死に、
 



その一ヶ月後、ジャニス・ジョプリンが死に、
  



その一年後、ジム・モリソンが死んだ。
   




『70年代でロックは終わった。』  



『4人のJが死にロックが終わった。』とジジイたちは言う。



ここで ようやく、アルバムの紹介


ジャニスのアルバムは



ビッグ・ブラザー&カンパニーの『チープ・スリル』


相当ラフなアルバムで、全米チャートのトップを獲得する。



ドラッグに手を出し、メンバーとの摩擦も表面化し、


ソロシンガーとして『コズミック・ブルースを歌う』を発売する。



この時、ジャニスの残された人生は、あと一年しかない。




1970年 8月末にスタジオで、


アルバム『パール』のヴォーカル録音をすべて録音する前に、



10月4日 レコーディング中に死んだ
  


『生きながらブルースに葬られ』という曲は、


インストになっている。




タバコを買いに行って、
   


帰ってきたところで、

部屋の中で死んでいた。



タバコは、マルボロだった。 
  


片手には4ドル50セントを握りしめていたらしい。


5ドル札でマルボロを買ったおつり。


インディーズに一枚

オリジナルは 三枚しかなく、


あとは死後に出たアルバム


誰もジャニスみたいに生きられない。


誰もジャニスみたいに歌えない。

だから、「わたしジャニス・ジョプリンが好きなの。」



って言う女の子いると



ちょっと僕は心ときめいてしまう。 
  






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第五回 わたしジャニス・ジョプリンが好きなの(3)
 






第一次大戦で多くのフランス人が戦争に取られ、 



パリに残ったのは外国人ばかりで



スペイン人のピカソなどが、


注目されるようになる。
 




1938年ドイツでナチスによるユダヤ人襲撃事件


(クリスタルナハト)が起こる。  
  



ヨーロッパ全土のユダヤ人たちが、命の危機にさらされた。




1939年ドイツがポーランドに侵攻し、
  



イングランドとフランスが宣戦布告する。
 



第二次世界大戦が勃発。1940年パリが陥落。 



1945年連合軍の勝利で、戦争は終わるが、


多くのユダヤ人たちは、



米国に亡命した。





戦後、経済と芸術はパリから



ニューヨークへ移って行った。  
  




ジャニス・ジョプリン



そう言うユダヤ系移民の子孫なわけだ。




1950年代、失われた世代の文学に



とってかわったのがビートニクス



ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグ



ウィリアム・バロウズがアルコールやドラックと放浪し、


ジャズ・エイジを引き継いだ。



シカゴではアーバン・ブルースが完成し、



ロックン・ロールが完成していく。




ブルースロックン・ロールを最初に受け入れたのは、



ロンドンの子供たち。



海を渡って来るレコードに胸躍らせて、



バンドを始め、ロンドンが世界で一番ヒップな街になってゆく。




海を渡ったロンドンから音楽は発信された。
 




1970年代になると、


イングランドのミュージシャンたちは、


祖国を捨て、ニューヨークやウェスト・コーストに


進出するヨーロッパが没落して、



さまざまなものがロンドンやパリから、



ニューヨークやウェスト・コーストに移っていった。



そう言う時代の中心にジャニス・ジョプリンは生まれた。









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