『神の食卓にふさわしい人(5)』◆2024.6.16礼拝メッセージのポイント&質問◆ | いこいのみぎわ

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牧師であり家庭教師である摩周遍里の、ときにまじめに聖書的、ときに脱線して、飼い犬のユテコくんも笑い出す、つれづれブログです。

◆礼拝メッセージのポイント&質問◆
※メッセージの動画はこちら↓
2024/06/16「神の食卓にふさわしい人(5)」ルカ14:25-35 はなみずきベテルチャーチ 主日礼拝メッセージ 西住啓牧師 (youtube.com)


ルカ14:25-35

神様と食事をともにするのにふさわしい人=主イエスと運命共同体となるのにふさわしい人とは誰か、今日はその5回目、最終回になります。

5.神の食卓にふさわしい人=主の弟子として払う犠牲と、受ける報いを知っている人

○この箇所は、弟子たちにではなく群衆に向かって語られています。「群衆」と「弟子」の違いは何でしょうか? そして、あなたは主の弟子として歩んでいますか?





○「塔を建てる」「敵と講和を結ぶ」という二つの話から、キリストの弟子になるために費用を考え、勝つ見込みを考えなさい、と主は語っておられます。では、主の弟子に必要な「費用」「勝つ見込み」とは何でしょう?





「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」(26節)……ここでいう「憎む」とはどのような意味でしょう? このことばから、どういう生き方を主イエスは私たちに求めておられるでしょう?





○偶像とは何でしょう? 「十字架を負う」とは何を意味するでしょう?





エペソ1:17-19、ヘブル11:24-27を読んで、「聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」、キリストの弟子に求められていることは何かを考えましょう。





天国で受ける報いの大きさと、主イエスが十字架でなしてくださったことの大きさを思って、神の愛に応えていくことを忘れてはなりません。「神様、どうぞご自由に!」神様にご自分を明け渡して、主の弟子として歩ませていただきましょう!



◆みことばを口ずさもう!◆

……自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。(ルカ14:33)

あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。(エペソ1:18,19)




◆今週の祈り◆

主よ、現実の生活の中で自分を握りしめて、あなたを二の次にし、永遠の世界に目を向けることをしていなかったことをお赦しください。あなたの御手の中に、私自身を明け渡します。私の霊の目を開いて、どうぞご自由に、私を用いて導いてください。