『何が主を十字架に追いやったか?』◆2024.3.24.礼拝メッセージのポイント&質問◆ | いこいのみぎわ

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牧師であり家庭教師である摩周遍里の、ときにまじめに聖書的、ときに脱線して、飼い犬のユテコくんも笑い出す、つれづれブログです。

◆礼拝メッセージのポイント&質問◆
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2024/03/24「何が主を十字架に追いやったのか?」ルカ23:13-25 はなみずきベテルチャーチ 主日礼拝メッセージ 西住啓牧師 (youtube.com)


ルカ23:13-25

来週の日曜日はイースター(復活祭)で、今週は受難週になります。主の十字架をじっくり思うときです。何が主を十字架に追いやったか?三つお話しします。

1.ねたみと群衆性が、主を十字架に追いやりました。

○祭司長・律法学者たちは、主イエスをねたんで殺しました。人をねたんだことはありますか? そのねたみがどのような結果をもたらしたでしょうか? ヤコブ3:14-16も参照しつつ、ねたみがどれだけ破壊的なものかを考えましょう。





○群衆はこの一週間前に、主イエスがエルサレムに入られるのを「ホサナ」と叫んで喜んで迎えました。ところが、祭司長・律法学者たちに扇動されて「十字架につけろ!」と叫びます。群衆には主体性がなく、責任を取ろうとしません。私たちの心の中に、「群衆」性はないでしょうか?





2.人を恐れる心が、主を十字架に追いやりました。

○総督ピラトは主イエスが無罪だとわかっていながら、「十字架にかけろ」という声に負けて、有罪判決を出しました。私たちもまた、こうすべきだ、こうあるべきだ、ということがわかっていながら、人を恐れてその正しいなすべきことを曲げてしまうということはないでしょうか?





3.あなたを赦しあがなうために、主は十字架を負われました。

○バラバは、主イエスが身代りとなって助かったことを自覚していたにちがいありません。「父よ。彼らをお赦しください」という主の十字架の上のとりなしによって、私たちに救いの道が開かれました。私たちが救われたときのことを思い出しましょう。





ねたみ、破壊し、群衆心理で振り回されやすく、神ではなく人の目を恐れ、絶対の真理よりも、人々の多数意見を真理にすりかえてしまいやすい私たち。そのような私たちのために、主は十字架にかかられ、死んでよみがえられました。何が主を十字架に追いやったか?……それは結局、私たちの罪なのです。この十字架が私たちを救い解放したことを心に留め、私たちをあがなわれた主に感謝をささげて歩ませていただきましょう!



◆みことばを口ずさもう!◆

私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。(イザヤ53:6)



◆今週の祈り◆

主よ、妬み、破壊し、群衆心理で振り回されやすい私たちを、神ではなく人の目を恐れ、絶対の真理よりも、人々の多数意見を真理にすりかえてしまいやすい私たちを赦して、あなたの十字架の血潮できよめてください。、砕かれた悔いた心、あなたに信頼する柔らかい心を、私たちの内側に新しくしてください。