もし勉強よりゲームがしたい、と言われたらどうですか?と聞かれたご回答ですが。
ゲーム、楽しいですよねー。
小学生ヒエラルキーにおいて、フォートナイトでどれだけ建築を早くできるか、という一点は重要です。
子供が集まって遊ぶ中で、ろくにフォートナイトの練習もできずに、へたくそのまま参加するのは。
ママ会にユニクロフリース上下で参加しろ、と同義だと思います。(※当社比較)
私はゲーム、漫画は小学生男子の一般教養科目として履修義務があると思っている、中学受験界隈では少数派かと思いますので、偏りがありますが。
ジャンプを読まずに五条先生を語れず、フォートナイトのビクロイの喜びを感じない小学校生活、それを友達と共有できない生活はどうなのかなー、と思っている派です。
ではどれだけ与えるか、と考えた時、好きなものを求めらたら際限がないし、どこまで満足感を得たらよいかなんて。
あ、ダイエットと同じかも?
じゃ、チートデイシステムがいいかも、と思います。
なので、「どれだけ忙しくとも、早起きした時間、平日帰宅後の30分、土日の午前中はゲームを満喫してよい」と。
ここを絞って、若干の不満を感じつつ勉強をしたら、「やってらんない」と感じたら、その感覚での勉強時間は意味がない。
基礎を積んでいる時期ならば、その1時間の基礎の弱さがのちの100時間に関わってくる。
それならば、「え、今の状況で、そんなにやっていいの?」と、本人がうっすら感じる程度までやらせた方が、結果リターンは大きいと思います。
チートデイの良いところは、ゲームをやりたいけれど、週末になればチートデイがあるから、今はがまんしよう、と思えるところ。
逆に、チートデイは朝8時から12時までぶっ通しでゲームしても文句は言いません。目が悪くならないように、インターバルはいれさせますが。
土日の昼までゼロ勉強の代わりに、午後から不満なく取り組んでくれれば御の字です。
もし、「やったー、もっともっと」とゲーム時間ばかりを求めるならば、「やるべきことをやる」という価値観が足りていないのかな、と思います。
サッカーを習い始めの子は、つまらない足元基礎練をするより、ブランコや砂遊びに行きがち。
そこで、「つまらなくて、疲れる練習だけど、やらなくてはならない」という価値観を学び、上達することで成功体験と、試合のゴールなどで達成感を学び、「やるべきことをやる」という価値観を身に着けます。
そこから、体が大きくて怖い相手でも逃げずに戦わなくてはならないし、グラウンドが泥でぐちゃぐちゃ、シューズもぐちゃぐちゃでも走らなければならないし、ユニフォームが汗でぐちょぐちょ、体にピッタリ張り付いてきていても着替えずに後半を戦わなくてはならない。
イヤでも、「やるべきことをやる」ということに疑問を持たない、戦いに行く、という価値観へと育つのかな、と思います。
「イヤなことはやらない、好きなことを求めていく」というのは、流行りの価値観かとも思いますし、小学校の運動会で競争が排除されていくあたり、そのあたりを助長しているのだろうな、と思います。
ただ、そういう生き方と、組分けテストで席次まで決まる中学受験生活は相反するもので、両立はできないのでは、と思います。
もし、弟くんあたりが、ゲームだけやって過ごしたい、と言ってきたら、と考えると。
勉強をはじめる前は、「サッカー練習をやってない子がゲームして良いわけないでしょ。」「やる事やらない子は、良いこともなくなります。」と言ってました。
が、これは幼児だからこそ成立する理論なので、小学生高学年になると難しいかもしれません。