星占いに関する個人的考察 | S.H@IGTのブログ

S.H@IGTのブログ

大阪府泉佐野市にある、ゲートタワーIGTクリニックの院長のブログ

その男、私と同じ年の同じ月の同じ日に生まれた。

 

彼とは大学の同級生の仲良しで、お互いの4畳半の下宿部屋を行き来していた。

出席番号も大きく違い、なぜ彼と親しくなったかは思い出せない。

 

1年生の夏、二人とも4畳半の下宿で寝ころびながら、お互いの誕生日を知った。

互いの頭の中を星占いがよぎり、『えー、これから二人には同じ人生が待っているのかよー』、と少しばかり神妙奇妙な気持ちになったものだ。

 

同じ大学に入るのに私は一浪し、当然ながら彼も一浪している。

 

女性の好みはほぼ同じで、二人とも同級生の同じ女の子に興味を示し、どちらが先にアプローチを掛けるのか、じゃんけんで決め、私が勝った。

この点については後々、異論があると彼は言うが、勝者の私にはゆるぎない確信がある。

 

同じように硬式テニス部に入部したが、彼の方が少しガッツがあったらしく、卒業までテニス部にいたが、私はガッツが欠けていたようで、テニス部を辞め、ワンダーフォーゲル部に転部した。

 

2年生になり、二人は同じポロアパートに移った。

アパートの壁には、○の中にヒの字が書いてあり、正式名称はヒノマルアパートだったらしいが、そのボロで怪しい雰囲気から誰もがマルヒアパートと呼んでいた。

 

性格はといえば、私の方が真面目だったこともあり、少しだけ成績が上で、試験の折りには、カンニングをさせる役割とさせてもらう役割を分担していた。

 

二人とも無事に大学を卒業し、私は大阪に移り、彼は徳島に残った。

 

私はその同級生と一途に5年半付き合いののち結婚し、今もそれを継続している。

彼は1学年下の女の子を選び。同じ期間ぐらいの付き合いのあと彼女と結婚し、今も同じように関係を継続中だ。

 

卒業後、しばらくして彼はカナダに1,2年留学した。

私は、少し遅れてスイスに1年留学した。

 

彼は大学に残ることはなく、とある市民病院に勤めたが、自分の専門を大事にして独立して診療所を開いている。

私も大学には残らず、市民病院に長く務めたが、やりたいことがあり自分のクリニックを開いている。

 

彼は脳外科だが、華々しく開頭術を行う専門ではなく、脳に細い電極を入れてパーキンソン病を治すという治療を行っている。

私は、放射線科でがんの治療をしているが、細いカテーテルを動脈に入れ、なるべく体に優しい治療を行っている。

 

どうも血液型も同じだったと記憶している。

 

彼は学生時代、彼女に内緒にしていたことがばれて、うろたえるようなとき、『アバジヘジブジヘジアバジ』と呪文を唱えていた。

私は今も家内に内緒にしていたことがばれ、えらいこっちゃという時には、『アバジヘジブジヘジアバジ』と同じ呪文を唱えている。

 

彼は一言で人を笑わせるのが無類に上手で、誰もが彼の一言に癒されていた気がする。

その才能は今に至ってもまったく衰えを示さない。

昨年の同窓会では集合写真の折り、皆を無理やり笑させようとするプロの写真屋さんがいたが、彼が一言、『おっちゃん、ズボンのチャック開いてんでー』と嘘を言い、おっちゃんの慌てる姿を見て皆が大爆笑し、とてもイイ写真が撮れた。

でも私にはそんな才能はない。

 

彼は人生の楽しみ方が上手で、美人の先生にフルートを習ったり、ハーレーダビットソンに跨り日本中を旅行したり、イタリア語を勉強しイタリア旅行を楽しんだりしている。

私とはこの点は大きく違い、いつも羨ましく思っている。

 

生まれた場所は静岡県島田市と徳島県阿南市と遠く離れているが、星占いでは大して大きな違いではない。

 

星占いでは生まれた時間も少しく重要らしいので、私を生んだのは朝なのか晩なのかと母親に聞いたら、もう忘れて思い出せないという。

その母親も89歳で天国に行ってしまい、もう調べるすべはない。

一方、彼の母親は100歳越えらしいが、元気で認知症もないという。

 

もうかなりの時間を生きてきたので、二人が同じ日に死ぬ確率もだんだん増えているようだ。

 

ソンナコンナで、二人が死んでのち、だれか二人の人生を比較して、共通点や違いを詳しく分析して考察してもらえれば、星占いの予言的中精度について信頼に足るデータが発表出来るだろう。

少しは後世の役に立つ研究になるかも知れない。