その日が来るまでに一つしておきたいことがある。
司馬遼太郎の著作をすべて読み切ることだ。
かなりむつかしい気がするけれど、私はまだ余命というものを知らされていないので、可能かも知れないとも思っている。
いまはまだ仕事に忙しいこともあってゆっくり本を読む時間もないので、手あたり次第に買ったりしないが、実は本棚には司馬遼太郎がたまるばかりだ。
これは絶版になるなと思った、『司馬遼太郎が考えたこと』という本は、全部買ったが、その後続々と続きの巻が出て切りがない。
時には同じ本を二度読みしたりするので、命がいくら続いても読破の見通しが立たない。
最近、何か気になることが書いてあったような気がして,二度読みした本が、『以下、無用のことながら』という本である。
1996年に亡くなられるずっと前に書かれた文章なのだが、今の世界の問題をまさに予言している。
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以下は私の妄想である。二十一世紀では、普遍的文明は世界をおおうだろうということだ。むろんこのことは世界国家ができるといったふうの政治的なことではなく、普遍的慣習の世界化とか、英語などの共通語の普及、またはファッションなど生活のソフト面での共通化といった文化的要素の共有性が高まるだろうということである。ただし----以下が大事なのだが-----一方において、その大傾向に背を向けるようにして、少数者がはげしく自己主張をし、多数者に背をむけ、少数者が特異性を不必要なまでに主張し、そのことによって多数者に顔色をうかがわせ、ときにバクダンを投げつけて自己の存在を示そうとする時代がくるにちがいない。しかもそのことが、集団(国またはその類似団体)の唯一に近い目的になりそうである。人類は、普遍性に覆われつつ-----その便利さを享受する一方-----特殊性を声高く叫ぶことに精神の安寧を感じる時代が来そうだということである。
(『以下、無用のことながら』文春文庫、154-155ページ)
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いま、まさにこのことで世界が揺れていて、解決の糸口を見つけられないでいる。
更に司馬さんの著作を読み進めれば、次の世界がどうなるのか、そんなことが記されているかも知れない。
ところで私のクリニックの医療法人は『龍志会』という名前だが、なんだかその筋の団体に間違われそうな名前で、私のことを組長と呼んだ奴がいる。
『竜馬がゆく』を読んだ私の思いが込められていることを分かってほしかったのだが・・・。
司馬さんの本のどこかに書いていたと思うのだが、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』のだという。
私もせっかく作ったクリニックを潰すわけにはゆかないので、せっせと本を読まなければならない。
最近は『坂の上の雲』を読んでおり、今はバルチック艦隊がマダガスカル島に停泊しているとのことだ。
日本は戦費を使い果たし手持ちの軍艦を修理し、バルチック艦隊をどう迎え撃つかと作戦を練るばかりの状況だ。
毎晩、ベッドで案じているが、でもすぐに目が閉じてしまうのでバルチック艦隊はマダガスカル島からなかなか離れない。