リトルアインシュタイン | S.H@IGTのブログ

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大阪府泉佐野市にある、ゲートタワーIGTクリニックの院長のブログ

Jean-Marieは私の戦友のような友達だ。

一緒に動脈塞栓術を世の中に広めようと作戦を共に練った。

私の作った動脈を詰める材料を商品化したのも彼だ。

今の私のクリニックを作ろうと提案したのは彼だ。

彼はいつも私の心の中にいて、次は一緒に何をやろうかと想いを通じていた。



2年前、突然、横浜に住むJean-Marieの弟から電話があった。

秋の始め、彼はボストン郊外の自宅近くの湖に奥さんと泳ぎに出掛け、泳いでいるうちに姿が見えなくなり、3日後、その湖の底で見つかったと伝えてくれた。




その時私はすぐにJean-Marieに電話し、『それ、嘘だろう?』と、聞きたくなったくらいに動転した。

握りこぶしで机を叩きながら、『何で9月の終わりに湖なんかで泳いだんだよー』と叫んでいた。

『オマエ、これからまた一緒に何かやろうといったじゃないか!』 

『約束したこといっぱいあるのに何でどこかへゆくんだよー。』

頭を掻きむしりながら、『私はなんでやねん』、『なんでやねん』、と繰り返す。




暫くして、秋も深まる頃、私は彼のお墓を訪ねることで自分の気持ちを整理したいと思い始めた。




それから2年たち、昨年の秋、

私はやっと仕事の都合をつけ、マイアミの学会出席に合わせてボストンに立ち寄った。


ボストン港の近くのホテルに、奥さんと息子が迎えに来てくれた。

二人の顔を見るのは初めてでも、彼の話で良く知っていた。

奥さんのDianaは、乳癌、子宮癌で2回も手術したのに元気だ、うれしい。

彼がリトルアインシュタインと呼んでいた息子Andreは、無口で精悍な二十歳の若者だ。




新しい物好きの彼が3年前に買ったテスラ―という電気自動車で、郊外にある彼の家に向かった。

運転しながら、奥さんが何度も涙声になり、JMVの事故の様子、彼の最期の様子を語ってくれた。

辛い。




ボストン郊外の森の中に彼の家はあった。

彼の家から彼の愛犬と奥さんとに導かれ、森の小道を歩いて10分、公園のような墓地についた。




林に囲まれた広々とした芝生の丘に彼は眠っていた。 

晩秋の林から落ち葉が渦を巻きながら彼の墓碑銘の上を舞う。

私は彼の前に立ち、かがみこみ、先程から動けない。



Dianaに家中を案内してもらった。

どの部屋の一つ一つのものにも彼の思いがあるという。

彼の書斎は、2年前と何も変わっていないという。

書棚には一冊だけ、日本語の本がある。

私のクリニックの開院式の記念本だ。



その夜、林の中にある一軒家で、私達はJean-Marieの思い出を語り合った。

Andreは父親の葬式が済んでから、コンピューター関係の夢を捨て、医学部に入りなおしたそうだ。

いつかは、父親の志を継ぎ、私の専門と同じ仕事をしたいという。


もう悲しくはない、なぜならそのテーブルにはJean-Marieが居た。

確かに居た。



私はいま夢を見ている。

Andreが私のクリニックでカテーテルを握り、私たちの球状塞栓物質を使ってがんの患者さんを治している・・・。』

きっときっと、実現するだろう。





追記:20091012日、Jean-Marieの話を載せています。今も悔やまれてしかたありません。 でも、『彼との二人の想いを次の世代に繋げることができれば』、 それだけを考えながら仕事をしています。