最近、私の心も乾き気味なので、心が潤うかも知れぬと考え、『永遠のゼロ』を見に行った。
一応、私も飛行機乗りの端くれに位置する人間でもあるので、別の興味もあった。
その映画は、軍国主義を擁護するものでもなく、愛国主義を鼓舞することもなく、あの時代に生きた人々の悲しさが十分に伝わり、私の心も眼も十分に潤った。
そしてゼロ戦の飛行シーンは、私を何度も驚かせる。
私が飛んでいた飛行機は、ゼロ戦より小さく速度も遅いのに、常に計器を睨んでいないとまっすぐ飛ぶのも難しかった。
自動操縦装置なんかあった訳はない。
あの昔、電波灯台なんかなかったはずだ。
島影も見えない大海原を何を頼りに基地に帰れるのだろう。
飛びながら、飛行機用の計算尺で方向と距離を10分ごとに計算していたはずだ。
真っ暗な夜に飛ぶ時、雲の中を飛ぶ時、体中が騒ぎ出すような不安にどう向き合ったのか。
宙がえりには異常なほどの体力と筋力がいるのをご存じだろうか。
背面飛行なんてどんな力と胆力が居るのか、想像もできない。
1キロ先の小さな機影を発見するなんて通常の視力では無理だ。
増してや頭上から襲ってくる敵をどうして避けるのか。
滑走路に着陸だって難しいのに着艦なんて、もう神業に近い。
『永遠のゼロ』、パイロットの端くれの目で見ると、操縦士の恐怖が伝わってくる。
物語は更に、悲しくて壮絶だ。
私の患者の中に特攻の生き残りもいたことを映像と共に思い出す。
彼は私の矢継ぎ早の質問に、言葉少なく、ほとんど何も語ってくれなかった。
あんな悲しいことを、思い出しながら言葉にできるはずはない。
彼はその後の外来で、彼の愛読書をそっと私にくれた。
暫くして彼は何も語らず、病で亡くなった。
私は今、その本、『ある零戦パイロットの軌跡』を手に取り、読み始めている。