イグアスの滝のある町で学会があるという。
何の関心もなかったが、貴殿を招待したいとメールが来たからにはもう無関係ではない。
そこでは、ブラジルとアルゼンチンの国境を流れる河が突然千尋の谷に落ち込んで世界一の滝をなし、年中轟音を立てているという。
この招待を断ればそんなところに行ける機会はもう二度とあるとは思えない。
学会に参加となると準備がいかに大変か、分かってはいるのだが、イグアスの滝が気になり、受諾の返事をしてしまった。
発表の準備も大変だったが、さらに大変だったのは、空の旅。
支那、天竺を越え、熱波の砂漠、ドーハで飛行機を乗り換え、初めて見るアフリカ大陸、大西洋を渡り、赤道をまたいだ後、サンパウロにたどり着いた。
更にそこで飛行機を乗り継ぎ、関空から合計30時間をかけてイグアス空港に転げ出た。
空港ビルなんか平屋の建物だ。
突き抜けるような青い空、なだらかに続く丘。
ポツンとあるイグアスの街は別段特徴もない。
でも、赤い土から生えている木々は見たことのない種類ばかりだ。
幹からいきなり果物らしい実がぶら下がっていたりする。
すっかり違う惑星に居る気分だ。
そこで終始、気になるのは、はやりイグアスの滝である。
発表のない2日目にタクシーでグアスの滝に向かった。
国立公園の入り口でバスに乗り換え、15分、ここから歩けと言われ、深い谷の崖に沿う細い小道を歩き始めた。
するといきなり、目に飛び込んで来たのは谷の向こうの崖に落ちる無数の滝。水の半分は途中で霧となり、雲のごとくに谷を漂う。
谷に沿って歩くこと30分、対岸の滝は、いつまでも続く。
常に首は谷のほうに釘付けだ。
途中で首が痛くなる。
暫くすると、前の方に茫々、轟々と音が聞こえ出した。
小道の角を曲がると、突然目の前に、とんでもない滝が現れた。
なだれ落ちる水は私の視野の半分以上を占め、とどろく轟音は、私の鼓膜の能力のすべてに訴える。
河の中、滝の中段に突き出たテラスのような道をゆく。
上を向くと何もかもを押しつぶすような水塊が雪崩の如く覆いかぶさり、視線を下に向けると谷に向かって吸い込まれるように落ち込む水が遥か下で水煙となって、宙を舞う。
恐ろしい光景だ。
交感神経がやたら興奮する。
だれだ、こんなテラスを作った奴は。
すべてがただ事ではない。
やはりすごいところだ、イグアスの滝。
滝の下には滝の上とを結ぶエレベーターが崖の中を貫通している。
さすがに入場料を払っただけのことはある。
滝の上にでると、広い静かな河がある。幅1キロもあろうか、遥かな向こう岸に見えるのはアルゼンチンだ。
この人生で彼の地をいつか訪れることができるのだろうか。
さらに川上に歩くと、川岸にレストランがある。
河に向かって広く開いたテラスにテーブルが置かれている。
イグアスの広く静かな流れ、数分後には悪魔の崖になだれ落ちるだろう流れを見ながら、昼食と決め込んだ。
ウエイトレスが来て、一人かと聞く。
私はいつも一人だ。
どこから来たのと聞く。
家族を連れてこなかったのと聞く。
次は家族を連れて来いという。
おせっかいだが、次に来るときは是非にそうしよう。
一人は淋しすぎる。
ビールも頼み、ゆっくりと、大らかに、1時間、そこに居た。
3日目、学会に居た日本人は私一人で、失敗しても旅の恥はかき捨てであろう。
でも飛行機の中の余りある時間を準備に当てたのは正解であった。
発表は何とかうまくゆき、私が言いたいことは通じたようだ。
安堵と同時に疲れがどっと押し寄せる。
でも、私のブラジルの旅はまだ道半ば、次はサンパウロの病院に一人行かねばならない。
今まさに老境に達しようとしているのに、スリルと冒険と賭けに満ちた私の人生、いったいどう流れてゆけばいいのだろう・・、
明日はイグアスの滝のような、怒涛に巻き込まれるのだろうか・・・・・。
・・・・・・続く。