「……えっ?」
耳にした言葉が信じられなくて思わず聞き返した。
「聞こえなかった?もう一度言おうか?」
確かに聞いた。けれど。
「『あたしを絶望させて』」
そんな願いは初めてだった。
口を開いて、でも何も言えなくて、結局また口をつぐむしかなかった。
「何よ。出来ないの?」
「出来ない、というか」
レンは夢を創ることができる。しかし、どんな夢を創ればいいのかわからないのではどうしようもない。
「結局出来ないんじゃない」
女はがっかりしたように大袈裟に肩を落とした。
「あーぁ、せっかく絶望できると思ったのにな」
そう言って大きくため息をついてその場に座り込む。
少し迷って、レンもその隣に腰を下ろした。
「何よ。何もできないならどっか行ってよ」
「その前にひとつだけ、聞いてもいいかな」
「ひとつだけね。……何?」
「どうして絶望したいの?」
少し間があった。
「だって……」
「完全に壊れてしまえばもう痛みなんて感じないから……」
ポツリと洩れた言葉は静かで。
とても静かで。
レンはただ言葉を無くした。
「絶望することが出来ないのなら、せめて悲しい夢を見たいわ」
女は続けた。
「幸せな夢じゃ起きたとき辛いだけだもの」
人が望む夢を、幸せな夢を、見せてきたつもりだった。
それは確かにそちらのほうが上質なエネルギーが手に入るためではあったのだけれど
現実が辛いならせめて夢の中だけでも幸せでほしいと、そう思っていたのも嘘じゃなかった。
「起きたあと『現実ならよかった』って思うようじゃ駄目なの。『夢でよかった』『生きててよかった』って思えるようなのじゃなきゃ駄目なのよ」
「どうして?」
「だってそんなの現実の痛みを倍増させるだけだもの」
だからと言って。
より強い痛みで 今の痛みを誤魔化して そんな、そんな風に。
痛みでしか生を実感できないような生き方は、哀しくて。
哀しすぎて。
そう言うと女は「仕方ないじゃない」と淡々と言った。
「あたしこんな生き方しか知らないもの」
「でも」
他にも生き方はきっとあるはずだと
そんな哀しい生き方はやめてくれと、そう叫びたかった。
けれど。
「あんたは人間じゃないからわかんないのよ」
女が去った後も、レンはそこから動けなかった。
立ち尽くしたまま上を仰いで、ようやく口にできたのはたった一言の本心。
「わかんないよ、そんなの……」
そんなの分からない。
分かりたくも無い。
しあわせになるために生きることはできないのか。
痛みではなく喜びで、『生きている』と感じることは叶わないのか。
なんだかとても哀しくなって、レンはもう一度「わかんないよ」と繰り返した。
それが人だと言うのなら
人というものはなんて哀しく、切ないものなのだろうと、思った。
『天使』や『悪魔』と呼ばれるものたちにとって、『人』は単なるエネルギー源に過ぎないものだ。
平たく言ってしまえば食料ということになるだろうか。
彼らが人に興味を持つことはほとんどない。
好意を持つものはさらに少ない。
「人間っていいよな、レン」
友人のあまりに突然の台詞に、レンは一瞬言葉を失った。
「……は?」
同意を求められても困る。レンは今まで人間が「イイ」など思ったことが無いのだから。
ただ最近少しだけ、前よりほんの少しだけ興味を持つようにはなったけれど。
レンのいぶかしげな目線に構うことなく、マオはほぉっとため息をついた。
「死にたくないってさ。…言うんだよ」
マオはレンとは種族が違う。といっても単に食べるものが違うだけなのだけれど。
レンは人に望む夢を見せ、喜びのエネルギーを糧とする。
マオが食らうのは記憶だ。
魂から現世の記憶を吸い、真っ白な状態にして送り出す。
人からは死神と呼ばれている。
「たまにそうじゃない奴もいるけど。でも大抵の人間はさ、どんな長生きしてても言うんだよ。『死にたくない』『自分はまだ死ねない』って。…もう死んでるのにさ…」
それは大切な人のためだったり、遣り残したことのためだったりするけれど。
「そんなさ。順風満帆ってわけでも幸福にあふれてるわけでもない人生でもさ。でも、忘れたくないって言うんだよ」
マオは目を伏せた。
「『それでもこの世界には大切なものが確かにあったから』って…」
マオはレンをまっすぐに見つめた。
「忘れたくないと、言うんだよ……」
呟いた声の切なさの理由も、レンにはよくわからなかった。
「なぁ、レン?」
「うん?」
「人よりも生死の境があやふやだからかな、僕は死が怖いだなんて思わない。レンもそうだろ?」
マオが何を言いたいのかよくわからないまま、レンは小さく頷いた。
「……それは幸福なんだろうか?それとも不幸なんだろうか?」
マオはレンからそっと目を逸らした。
「わからないけど、ただ僕は人間が羨ましいと、そう思ったんだ」
その声はいつもの彼より少し低くて、何故か耳に残った。
マオが姿を消したのはその数日後だった。
人間に自らの命を分け与えたらしいと、噂で聞いた。
マオがどうして自ら死を選んだのか、誰も知らない。
もちろんレンにもわからない。けれど心の何処かで知っていた。気づいていた気がする。人間が羨ましいと言った、あの淋しげな顔を見たときから。
「マオ…」
ぽつりと呟いた声がやけに大きく聞こえた。
「死にたかったの…?」
『いつの間にか』ではなくて。
自分が生まれて、生きて、確かに此処にいたのだと。
そう間際に思えるような、そんな確かな死が欲しかったのだろうか。
レンは首を振る。そんなこと考えてなんになるのか。全てはただの憶測に過ぎない。
けれど、もし、本当に、本当にそうだったとしたなら。
「マオ……僕は……」
ズキンと胸が痛んだ。
ああ そうか。
人は この気持ちを 悲しいと 呼ぶのか。
「僕は君が死んだのが悲しい」
声にすると同時に涙が溢れて
レンは生まれて初めて泣いた。
いない。
もう、いない。
この世界の何処を探しても、いない。
そう思うと胸が痛くて。どうしようもないくらい痛くて。
この痛みは君がいた証になりませんか。
止まらない涙は、君がいた証になりませんか。
レンは繰り返し届かない言の葉を風に乗せる。
名前を、呼ぶ。
「マオ……」
また一粒の涙が頬を滑って落ちた。
平たく言ってしまえば食料ということになるだろうか。
彼らが人に興味を持つことはほとんどない。
好意を持つものはさらに少ない。
「人間っていいよな、レン」
友人のあまりに突然の台詞に、レンは一瞬言葉を失った。
「……は?」
同意を求められても困る。レンは今まで人間が「イイ」など思ったことが無いのだから。
ただ最近少しだけ、前よりほんの少しだけ興味を持つようにはなったけれど。
レンのいぶかしげな目線に構うことなく、マオはほぉっとため息をついた。
「死にたくないってさ。…言うんだよ」
マオはレンとは種族が違う。といっても単に食べるものが違うだけなのだけれど。
レンは人に望む夢を見せ、喜びのエネルギーを糧とする。
マオが食らうのは記憶だ。
魂から現世の記憶を吸い、真っ白な状態にして送り出す。
人からは死神と呼ばれている。
「たまにそうじゃない奴もいるけど。でも大抵の人間はさ、どんな長生きしてても言うんだよ。『死にたくない』『自分はまだ死ねない』って。…もう死んでるのにさ…」
それは大切な人のためだったり、遣り残したことのためだったりするけれど。
「そんなさ。順風満帆ってわけでも幸福にあふれてるわけでもない人生でもさ。でも、忘れたくないって言うんだよ」
マオは目を伏せた。
「『それでもこの世界には大切なものが確かにあったから』って…」
マオはレンをまっすぐに見つめた。
「忘れたくないと、言うんだよ……」
呟いた声の切なさの理由も、レンにはよくわからなかった。
「なぁ、レン?」
「うん?」
「人よりも生死の境があやふやだからかな、僕は死が怖いだなんて思わない。レンもそうだろ?」
マオが何を言いたいのかよくわからないまま、レンは小さく頷いた。
「……それは幸福なんだろうか?それとも不幸なんだろうか?」
マオはレンからそっと目を逸らした。
「わからないけど、ただ僕は人間が羨ましいと、そう思ったんだ」
その声はいつもの彼より少し低くて、何故か耳に残った。
マオが姿を消したのはその数日後だった。
人間に自らの命を分け与えたらしいと、噂で聞いた。
マオがどうして自ら死を選んだのか、誰も知らない。
もちろんレンにもわからない。けれど心の何処かで知っていた。気づいていた気がする。人間が羨ましいと言った、あの淋しげな顔を見たときから。
「マオ…」
ぽつりと呟いた声がやけに大きく聞こえた。
「死にたかったの…?」
『いつの間にか』ではなくて。
自分が生まれて、生きて、確かに此処にいたのだと。
そう間際に思えるような、そんな確かな死が欲しかったのだろうか。
レンは首を振る。そんなこと考えてなんになるのか。全てはただの憶測に過ぎない。
けれど、もし、本当に、本当にそうだったとしたなら。
「マオ……僕は……」
ズキンと胸が痛んだ。
ああ そうか。
人は この気持ちを 悲しいと 呼ぶのか。
「僕は君が死んだのが悲しい」
声にすると同時に涙が溢れて
レンは生まれて初めて泣いた。
いない。
もう、いない。
この世界の何処を探しても、いない。
そう思うと胸が痛くて。どうしようもないくらい痛くて。
この痛みは君がいた証になりませんか。
止まらない涙は、君がいた証になりませんか。
レンは繰り返し届かない言の葉を風に乗せる。
名前を、呼ぶ。
「マオ……」
また一粒の涙が頬を滑って落ちた。
東の小さな国の人たちは
人の夢と書いて 儚いと読むのだと、誰かが言った。
「あの人の姿になって。愛していると言って頂戴」
「『本物に会いたい』んじゃなくて?」
女は目を伏せて少し笑った。
「私、意地っ張りなの。私があの人を愛してるなんて、教えてあげたくないわ」
だってもう何もかも今更だから。
長く艶やかな黒い髪がさらりと揺れて、女の表情をわからなくした。
「あんなに遠くに行ってしまったもの。きっともう二度と会えないわ」
あと少しだったのに。
あと少しで私はあなたの腕の中に飛び込んでいけたのに。
女は想いを決して口にはしない。
けれど此処は夢の国。想いを隠すことなどできはしない。
レンの耳に伝わるのは声の大きさではなく、想いの強さ。
「二度と会えないとわかっているのに、想いを伝えるのは我儘でしょう……?」
あなたの想いは叶っていただなんて、どうして言えるというのだろう。
私にはもうあなたに会う権利すらない。
絶世の美女と詠われた美貌には切なさが滲んでいた。
「これ以上苦しませたくないの。……とても傷つけてしまったから……」
けれどせめてもう一目と、想う心も止められないから。
だからどうかあの人の幻を。
女は縋るような目でレンを見た。
レンは目を閉じた。
「わかった」
一夜限りの儚い夢を、あなたに。
あなたがそう望むのならば。
人は本当に不思議な生き物だ。
会えば想いは募るのに。
苦しくなるばかりと知りながら、それでも人は会いたいと願う。
一時の幸せは余計に悲しみを増すとわかっていても。
それでも願う、その心を恋慕と呼ぶことは知っているけれど。
女の腕を取り、そっと抱きしめる。
レンの腕の中で、女は涙を一粒零した。
鳥の鳴き声で目が覚めた。
しばらくぼんやりして、ああアレはやはり夢だったのだと思う。
そういえば「彼」は初めからこれは夢だと言っていた。
ほぅっと息をついてゆっくり起き上がると、女は小さな笑みを浮かべた。
幸せな夢を見た。
胸が痛くて、息が詰まるほどに愛しい。
目の端に紙と硯箱が入る。白魚のような指でそれらを引き寄せると、女はまた目を閉じた。
「……うたた寝に……で、いいかしら」
そう一人ごちて女は筆を取る。
やがて紙に書き付けられたのは一種の和歌。
うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき
うたた寝の夢に恋しい人を見てしまったときから、
当てにならないはずの夢というものを頼りにし始めてしまったことよ。
短く儚い夢の思い出がその後長く伝えられていくことを、知る人はまだいない。
人の夢と書いて 儚いと読むのだと、誰かが言った。
「あの人の姿になって。愛していると言って頂戴」
「『本物に会いたい』んじゃなくて?」
女は目を伏せて少し笑った。
「私、意地っ張りなの。私があの人を愛してるなんて、教えてあげたくないわ」
だってもう何もかも今更だから。
長く艶やかな黒い髪がさらりと揺れて、女の表情をわからなくした。
「あんなに遠くに行ってしまったもの。きっともう二度と会えないわ」
あと少しだったのに。
あと少しで私はあなたの腕の中に飛び込んでいけたのに。
女は想いを決して口にはしない。
けれど此処は夢の国。想いを隠すことなどできはしない。
レンの耳に伝わるのは声の大きさではなく、想いの強さ。
「二度と会えないとわかっているのに、想いを伝えるのは我儘でしょう……?」
あなたの想いは叶っていただなんて、どうして言えるというのだろう。
私にはもうあなたに会う権利すらない。
絶世の美女と詠われた美貌には切なさが滲んでいた。
「これ以上苦しませたくないの。……とても傷つけてしまったから……」
けれどせめてもう一目と、想う心も止められないから。
だからどうかあの人の幻を。
女は縋るような目でレンを見た。
レンは目を閉じた。
「わかった」
一夜限りの儚い夢を、あなたに。
あなたがそう望むのならば。
人は本当に不思議な生き物だ。
会えば想いは募るのに。
苦しくなるばかりと知りながら、それでも人は会いたいと願う。
一時の幸せは余計に悲しみを増すとわかっていても。
それでも願う、その心を恋慕と呼ぶことは知っているけれど。
女の腕を取り、そっと抱きしめる。
レンの腕の中で、女は涙を一粒零した。
鳥の鳴き声で目が覚めた。
しばらくぼんやりして、ああアレはやはり夢だったのだと思う。
そういえば「彼」は初めからこれは夢だと言っていた。
ほぅっと息をついてゆっくり起き上がると、女は小さな笑みを浮かべた。
幸せな夢を見た。
胸が痛くて、息が詰まるほどに愛しい。
目の端に紙と硯箱が入る。白魚のような指でそれらを引き寄せると、女はまた目を閉じた。
「……うたた寝に……で、いいかしら」
そう一人ごちて女は筆を取る。
やがて紙に書き付けられたのは一種の和歌。
うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき
うたた寝の夢に恋しい人を見てしまったときから、
当てにならないはずの夢というものを頼りにし始めてしまったことよ。
短く儚い夢の思い出がその後長く伝えられていくことを、知る人はまだいない。