佐分利 貞男1879(M12)-1929/11/29(昭和4)

 

19298月、浜口内閣の外相幣原喜重郎に乞われて、駐支那公使に就任。田中義一内閣の対支外交や張作霖爆殺事件後に悪化した対支関係の打開を期待されたが、一時帰国中の1929/11/29箱根宮ノ下の富士屋ホテルにおいて変死体で発見された。

 

11/29朝、佐分利は前日遅くから宿泊していた常宿において即死状態で発見された。頭部を拳銃で撃ち抜かれ、死体には布団がかぶせられていた。

 

右手に拳銃を握っていたが、佐分利は左利きであった。遺書もなかった。彼は日頃から護身用に小型拳銃を所持していたが、使用された拳銃は出所不明の38口径コルト大型拳銃だった。身綺麗な外交官に相応しくない寝間着姿での自殺は不自然。翌日の行動予定もあった。

警察は自殺と断定したが、外相幣原喜重郎や遺族は他殺を疑った。

 

妻・フミ(通称文子)- 1886年生まれ。小村寿太郎の娘。192510月、北京関税会議に佐分利が通商局長として出席した際に随行したが、同地で風土病により客死。

 

小村 寿太郎1855 - 1911

 

 

 

 

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