1月14日に今年の野球殿堂入りが発表され、競技者表彰のプレーヤー部門で現スワローズ監督の高津臣吾氏と元ドラゴンズの山本昌氏が選出されました。

同時代のセ・リーグを盛り上げたお二方ですが、共通点もありその野球人生は現在の野球少年たちへ伝えるメッセージ性が強いものがあるなと思いました。

 

【その1】遅い球を極めれば大きな武器になる

アマチュア時代から「MAX15×キロ」など球速が注目される昨今において、山本昌氏は立派な体格にそぐわず、ストレートの球速は常時130キロ台。マンガなどで「体格は剛速球投手だが、思いのほか球速が出ないのが最大の武器」なんてネタにされていましたが、キレのいいスクリューボールやカーブなどを交えることで130キロ台のストレートを150キロ台に感じさせるテクニックで50歳まで現役を続けました。

また、高津氏が2年目のオフに野村監督からシンカーをもっと遅く投げられないか?と指導を受け、ストレートと同じ腕の振りでどうやって遅いシンカーを投げるかを極め、クローザーの座をつかんだのも有名な話ですね。

とかく球速UPに走りがちの中で、遅いボールでも極めれば大きな武器になるということをこの2人の実績は示しているのではないでしょうか?

 

【その2】2番手でも、期待されていなくても努力次第で名選手になれる

高津氏は広島工高で春夏連続で甲子園出場も控え投手で甲子園での登板はなし。進学した亜細亜大でも同期に8球団競合の指名を受けた小池秀郎がいたため、2番手投手。ブルペン投球の優先度も低く打撃投手を務めることで投球練習代わりにしていたそうです。

小池、高津の両名のプロ入り後の実績はご存じのとおりですよね。

山本昌氏も入団時当時解説者だった星野仙一氏が「背番号34の左腕で『金田2世』と期待してブルペンに見に行ったら、ただの大柄の男で不恰好なモーションでコントロールも悪く、球速も130キロ台しか出ていなくてがっかりした」と語られたり、入団5年目には当時ドラゴンズが業務提携していたロサンゼルス・ドジャースに「野球留学」したのも、ドジャースとの交流関係を維持するためにその年に戦力にならない選手を派遣したのが実情だったというのも有名な話。しかし、その野球留学でアイク生原氏の指導で低めへのコントロールとスクリューボールを会得したのだからわからないものですよね。

 

【その3】とにかく野球が好きであれ

50歳まで現役を続けた山本昌氏はもちろん、日本やMLBだけでなく、晩年は韓国や台湾、BCリーグの新潟でのプレーし44歳まで現役を続けた高津氏ともにその根底にあるのは「野球が好き」という気持ちがあったからではないでしょうか?野球が好きだからこそ、新たな技術を習得したり、トレーニングに打ち込み永年プレーを続けられたのではないかと思います。

 

このように両氏の野球人生は必ずしもトントン拍子で歩んできたものではないものの、努力を続けることで球史に名を残す名選手になれるということを現在の野球少年に伝えるものではないかと、両氏の野球殿堂入り決定のニュースに接し思う次第です。

山本昌さん、高津さん野球殿堂入りおめでとうございます!