“Yes We Can-Yes We Did”(1) | Takeblog ~たけぶろ~

“Yes We Can-Yes We Did”(1)

オバマ大統領2901  

Watch President Obama's full farewell address  

President Obama said goodbye to the nation, declaring during his farewell address that he hasn't abandoned his vision of progressive change but

 

2017年1月10日 バラク・オバマ米大統領が地元シカゴで任期最後となる演説を行いました アメリカ国民全員に謝意を伝え 民主主義に対する信念や多様性の大切さを説きました 

 

以下 演説全文(和訳) 

 

アメリカ国民が私を良き大統領にしてくれた 

 

私の同志-アメリカ国民の皆さん(会場歓声) ミシェルと私は この何週間かの間に頂いた皆さんからのお別れの言葉に感動しています。 そして今夜は私が皆さんに御礼を申し上げる番です。(会場歓声) 

 

実際に目を合わせてお話しできたのか 同意できたかどうかにかかわらず 私がアメリカ人の皆さんとできた対話… 場所は客間.学校.農場.工場の床.ダイナー.遠くの駐屯地であったりしましたが そこでの貴方達との対話は私を正直にさせ 奮起させ邁進する助けとなってきました。 

 

毎日私は皆さんから学んできました。皆さんが私をよりよい大統領にしてくれたのです。それにより私はより良い人間となることもできました。 私が初めてシカゴに来たのは20代前半の頃でした。 

 

その頃私はまだ自分が何者なのかを理解しようとしている時でした。自分の人生の目的を模索していたのです。ここからそう遠くはありませんが 近所の閉鎖された製鋼工場の陰に教会のグループがあり そこで私は働き始めました。そこで私は信仰の力 そして苦しみと失意の浮かぶ労働者の顔にある静かな尊厳を目にしました。(会場歓声) 

 

そこで私は普通の人たちが深く関わり 一致して要求することで物事は「チェンジ」できるのだという事を学びました。皆さんの大統領として8年間の勤めを果たした後でも まだ私はそう確信しています。しかもそれは私の信念というだけではなく アメリカの思想の真髄でもあるのです。 

 

自治政治という大胆な試み-それはみな平等に創造されたという確信です。創造者から奪うことのできない命.自由.幸福の探求といった確かな権利を与えられているのです。そのような権利こそが 私達が決して自滅しないという証拠となっています。我々人類は民主主義という手段を通して 更に完全な結束を生み出すことができる なんと素晴らしいアイデアなのでしょう。これは私達の創造者がくれた素晴らしい贈り物です。 

 

我々が懸命に働いて想像をすることにより 個々が自分の夢を追う自由 そしてさらに良いものを手に入れるため 一致して追求するという使命があります。(アメリカ史)240年間に亘りこの国は国民にそれぞれの新たな時代に対して仕事と目的を提供してきました。 

 

それこそが愛国者に専制政治ではなく共和主義を選択させ 開拓者に西部を旅させ 奴隷たちに自由への道を作る勇気を与え 移民や難民が海を渡りやってきて リオ・グランデは女性に投票するようにさせ 労働者が組織立つように力づけたのです。 

 

それゆえにGIはオマハビーチや硫黄島 イラクやアフガニスタンで命を捧げました。From Selma to Stonewall(キング牧師ら黒人公民権運動の始祖が大行進したセルマ/同性愛者擁護運動が始まったストーンウォール)の男女が同様に命を捧げる用意ができているのも同じ理由からです。(会場拍手) 

 

我々が「アメリカは特別である」と言うのはこのような意味で言うのです。建国後から問題がなにもなかったからというのではなく 我々が変革をする能力を示し 後の時代がより良い生活を送ることのできるようにするという事です。 

 

そうです-我々の進歩は平坦ではありませんでした。民主主義の働きは常に容易でなく 論議を呼び 時には血を流すことすらありました。常に前に2歩進む度 1歩後退しているような感じがするものです。しかしアメリカの長い働きは「前進」という言葉で定義され 継続的に基盤となる信条を広げ 一部ではなく全てを受け入れてきたのです。(会場拍手) 

 

 

我々の民主主義は試されている 

 

もし 私が8年前皆さんに「アメリカが大きな不況を回復させ 自動車工業を再起動させ アメリカの歴史上一番長い期間 雇用を生み出すことになる」とお話ししたとしたら? 

 

もし 私が皆さんに「キューバの人々と新たな関係を始めると そしてイランの核兵器プログラムを争うことなく閉鎖し 911(グラウンド・ゼロ)の首謀者を倒す」とお話ししたとしたら?。 

 

もし 私が皆さんに「結婚の平等を確立し 更に2,000万人もの市民に健康保険の権利を保障する」とお話ししたとしたら? 

 

皆さんは口を揃えて「目標が高すぎる」と言われたかもしれません。 

 

しかし私達はこれらのことを成し遂げられました 皆さんが「チェンジ」そのものとなったのです。皆さんが人々の希望に応え 皆さんのおかげで殆ど全ての意味において 私達の始まりの時よりもアメリカはより良い強い国となることができたのです。(会場拍手) 

 

10日後に世界は民主主義の特徴を目にすることになるでしょう。(会場ブーイング) 

 

(ブーイングを是正するしぐさで)自由に選出された1人の大統領から次の大統領へと力が平和裏に移行するのです。 丁度ブッシュ大統領が私に対してしたように 私も次期大統領トランプに私の政治ができる限りスムーズに移行できるよう完全に引き渡します。(会場拍手) 

 

なぜなら 我々が未だに直面している沢山の問題を政府が助けてくれるかどうかは 私達全てにかかっているからです 私達はそのために必要なものを全て手にしています。結果的に私達は地球上最も裕福で 最も強力で 最も尊敬される国であり続けるのです。 私達の若さと力 私達の多様性と解放 私達の大胆さ.リスクと変化の余裕とを考察するならば 未来は永遠に私達のものであると言えるでしょう。 

 

しかしその可能性は私達の民主政体の働きにかかっているでしょう。 私達の政治が自国民の体裁を反映するなら 私達全てが協力関係や特定の興味に関わらず 現在非常に必要とされている共通の目的を回復する助け合いをするならば の話です。 

 

今夜の話で私が強調したいのはこの事です。 “私達の民主主義”という国家です。 民主主義に一貫性が求められないということは理解できます。 私達の先祖は争い妥協してきましたし 私達も同様であろうと予期しています。 でも彼らは民主主義には基本的な連帯意識が必要なことを知っていました。 アイデアは外見の違いについて 我々はみな一緒で調子が良い時も悪い時も一緒だということです。 

 

我々の歴史のなかで団結力が脅かされた時が何度かありました。 今世紀の初めに起こったこともその1つです。 縮んでいく世界 格差の拡大 人口構造の変化 テロリズム-これらの脅威は我々の安全と繁栄を試しただけでなく 民主主義も試しています。 

 

我々の民主主義に対するこれらのチャレンジに対し我々がどう対応するかによって 子供の教育や雇用の創出やこの国を守る能力が決まります。 別の言葉で言い換えると「我々の未来が決まります」 その初めとして 我々の民主主義は 皆さんが経済的な機会を与えられない限り機能しないのです。(会場拍手) 
 

 
オバマ2905  
移民の子供たちはアメリカの労働力として大きな役割を担う 

 
良いニュースは今日 経済がまた伸びているという事です。 給料.収入.家の資産価値 年金は全て上がっています。 貧困についても下がっています。 富裕層は公平なレートの税金を払っています。 株式市場が記録を破っていても 失業率は10年ぶりの低さでした。 無保険率はかつてないほど下がりました。 

 

ヘルスケアの費用の上昇は50年間の中で一番遅いスピードです。 そして私は本気でこう言いました。 「誰かが明確に 我々のヘルスケアのプランよりよいプランを作れるのならば 私が公的にサポートします」と。 何故かというと 何といってもこれこそ我々が奉公した理由です。 ポイントを上げる事や手柄をとるためではないのです。 人々の生活を良くするためです。 

 

しかしこれら全ての進歩を我々は作りましたがそれでも十分ではありません。 我々の経済は成長するミドルクラスの人々の費用負担やミドルクラスになりたい人々に存在なしでは 上手く機能したり伸びていかないのです。 

 

これは経済的な議論です。 しかしありのままの不平等は我々の民主的なアイデアを蝕むものです。 トップ1%の人が富と財産をより蓄えている間 貧困者の多い都心部の過密地区や郊外の家族たちは置き去りにされています。 

 

工場で働いていて仕事を失った人達 ウェイトレスや医療従事者は請求書を支払うのに苦労している。 彼らは「このゲームは私たちの味方ではない」と自分を納得させている。 政府は権力の持っている人達しか見ていない。 それは政治における皮肉と分裂のレシピといえます。 

 

この長い期間のトレンドに対して素早く解決する方法はありません。 我々の貿易は自由なだけでなく フェアであるべきだと私は思います。 しかし次の経済の混乱は海外からくるのではありません。 自動化という情け容赦のないスピードからくるものであり それは今のミドルクラスが抱える仕事を奪っていきます。 

 

だからこそ我々は全ての子供達に必要な教育を保証する社会的な仕組みを作っていかなくてはいけないのです。 働く人達によりよい給料のための労働組合を組織する力を与えます。 我々が生きている状況を示すセーフティーネットをアップデートします。 そして税改正を行う事で 新しい経済から大きな収穫を得られる会社と個人は 彼らを成功に導いた国に対する義務を回避することはありません。 

 

これらのゴールを達成するためにどうすればいいか我々は議論することができます。 しかし我々は自己満足に陥ってはいけません 我々はもし全ての人達に対して機会を創らないならば 不満と対立が我々の進歩を失速させるでしょう。 

 

我々の民主主義への危機はすぐそこにあります。 その危機はこの国が歩んできた年数と同じものです。

私の選挙の後 アメリカの人種問題を超えた件で話がありました。 そのようなビジョンならばどれだけ意図的に企てられようが 決して現実的ではないという事です。 人種というのは説得力のあるもので我々の社会を分裂させるものでもあります。 

 

私は十分長いこと生きてきて 人種の関係性が10.20.30年前より良くなったことを知っています。 たとえ誰かがとやかく言おうとも。(会場拍手) それは統計だけで見られるものではありません。 政治的スペクトル上で 若いアメリカ人の態度に見ることができます。 しかし我々は我々がいるべき場所にはいません。 我々全員は更にするべきことがあるのです。 

 

もし経済的な問題が ハードワーキングな白人のミドルクラスと値しないマイノリティの努力として位置づけられるならば 働く人達は戦いに明け暮れ 富裕層はより富むことでしょう。 もし我々が移民の子供達に対して投資することを拒むなら それが我々に似ていないことが理由なら 我々は自分達の子供の将来を小さくすることを意味します。 なぜかというと彼ら茶色(移民)の子供達はアメリカの労働力として大きな役割を担うからです。(会場拍手) 

 

我々は経済がゼロサムゲームになる必要がないことをお見せしました。 昨年全ての人種 全ての年齢層 そして男性も女性も含めて全ての人の収入が上がりました。 もし我々が人種に対して将来本気になるならば 差別に対して切り込む法律を支持しなくてはいけません。 採用.住宅.教育.司法の面においてです。 それが我々の憲法であり 今まで一番崇高な理想が必要とされています。  

 

 

真実は必ずあなたに追いつく 

 
しかし法律だけでは十分ではありません。 心が変わらないといけないのです。 それは一夜にして変わるものではありません。 社会的な態度は世代という長い時間をかけて変わっていきます。 

 

しかし もし我々の民主主義が多様性のある世界に求められるかたちで機能するならば 我々一人ひとりがアメリカのフィクションのキャラクターの言葉 「あなたが彼の肌の色で歩き回って彼から見る景色を考慮しない限り その人を理解することは難しい」を留めておくべきです。 

 

黒人とほかのマイノリティの人達 これはこの国が直面している問題といえます 難民.移民.トランスジェンダーのアメリカ人 また中年の白人層でも世界は経済や文化やテクノロジーの進化により ひっくり返されることを見たのです。 我々は注意を払って聞かなければいけません。 

 

白人の人達 奴隷の効果とJim Crowは60年代に突然消滅しませんでした。 マイノリティグループの不平の声があがっても それは差別やポリティカルコレクトネスの練習にはなりませんでした。 彼らが平和な抗議を行ったとき 彼らは特別な対応を求めずにこの国を作ったファウンダーが約束した平等な対応を求めたのです。(会場拍手) 

 

生粋のアメリカ人にとって これは今日の移民に対するステレオタイプを思い起こさせます。 つまり言葉の通りアイルランド人.イタリア人.ポーランド人などです。 この新しい移民達によってアメリカという国が弱まることは決してありません。 寧ろ合衆国の信念を擁護し、強化してきました。 

 

我々がどのような立場にあろうとも 私達は励まなければいけません。 私達がこの国を愛するように 信愛なる市民たち一人ひとりがこの国を愛しているという前提を持って始めなければいけません。 彼らもまた勤労に勤しみ 家族を慈しむということ。 彼らの子供たちもまた好奇心たっぷりで希望に溢れ そして愛されているということを。 

 

これは容易いことではありません。 大多数の人々にとって自分自身の殻に閉じこもって過ごすことのほうが断然容易ではあります。 近所 大学の構内 祈りの場所 ソーシャルメディアなど 我々と似たような人々 同じ政治的意見をもつ人々 我々の常識を覆すことなどない人々 これらの人々に囲まれて暮らすことです。 

 

純粋な愛党心 経済的/地域的な格差 あらゆる嗜好に合わせてメディアの分裂 この全ての細分化が 一見自然に起こることであり 避けられない流れのように見受けられます。 そしてより一層 我々は自分自身の殻に閉じこもり その情報が真実か否かではなく 自分の意見に適合する情報のみを受け入れることに心地よさを覚えるようになります。 自らの意見を証拠に基づくものとすることなく。 

 

このような流れは我々の民主主義における第3の脅威となりえます。 政治とは思想と思想の戦いであります。 民主主義とはそのように作られたものです。 健全な議論においてはそれぞれが異なる目的 そして目的に至る異なる手段を持っています。 

 

しかしながらいくつかの共通認識がなくてはなりません。 それは新しい情報を受け入れること 議論の相手も科学的.理論的な点において 正当な意見を持っているということ。 これがなければ我々はいつまでも噛み合わない議論を続け 共通点や妥協点を見つけることは不可能となります。 これこそが政治に対する失望を招いていると思いませんか? 

 

どうして未就学児に対する支援を提案すると 議員たちは赤字財政に激怒するのに大企業の税金削減にはなにも言わない などということが起こるのでしょうか? どうして自らの政党における倫理違反には必死で言い訳をするのに 他の政党が同様のことをすれば非難するというようなことが起こるのでしょうか? 

 

これはただ単に不正直というだけではなく 意図的な事実の選別です。 そして自滅行為でもあります。私の母が昔よく言っていたように 真実というものは必ずあなたに追いつくものだからです。 


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