鍋を磨いて心を洗う | Takeblog ~たけぶろ~

鍋を磨いて心を洗う

私達 和食が調理に用いる鍋は持っ手の無い「坊主鍋」と呼ばれる

特殊な形の鍋を用いる それを「やっとこ」で持ち運びする
たけぶろ-やっとこ
↑「やっとこ」 鉄製なので慣れに時間が掛かる


使用の都度 軽く洗剤等で洗う以外 数日に一回 磨き上げる習慣が
たけぶろ-坊主鍋1
特製の砂鉄布で全体を丁寧に磨き上げる 「鏡面仕上げ」だ

これは古くから料理屋の厨房で風習として続いてきた

客に提供する料理だけでない 使う器具にも配慮は徹底していた



鍋を磨きながら 何時も昔 修行していた“追廻”(おいまわし)の

懐かしい記憶を回想する

(追回し-修行1年目の事 “ぼんちゃん”“ぼんさん”とも言われていた)


修行時代 割烹 料亭が大舞台だった為 店には30個余の坊主鍋と

手つきの大鍋が別にあり 毎日それら全部を鏡面仕上げにするのが1年目の

下っ端だった自分達の役割でもあった


勿論 1人で磨ける許容では無く 2~3人掛りで丁寧に磨きあげるのだが

なんせ腕が棒に成る程 体力がいる おまけに磨いた鉄分が手の甲に付着し

黒ずんでとても人前に出せる手でなくなってしまう

鍋洗いの後 漂白で手をごしごし洗い すすを落としていたのだが…


冬の水が冷たい時は最悪だった 皸(あかぎれ)やひび割れが酷く

漂白なんて手にとって痛いだけでなく 血が止まらない程荒れていた

田舎の両親が案じて 塗り薬を送ってくれたのがどれだけ嬉しかったか


尋常ならざる長時間の労働と過酷な環境は続くが 仕事には何ら関係ない

辞めたければ逃げれば良い そんな世界だったからこういう下積みでも

要らぬ事を考えず 我慢して乗り越える その時はそれしか方法が無かった


そんなある日 激務の後 片付けの時間に鍋を磨いていると先輩が来て

疲れて たらたら鍋を磨いている自分を見て 優しく「おう お疲れ!」

「鍋磨き 大変だろう」と声を掛けてくれた


「はい、 いえ お気遣いありがとうございます!」と答えると その先輩は

「皆 順繰りでこの鍋を綺麗にしてきた 店としての誇りだ。自分も最初

辛かったがな 慣れてくると磨きながら心まで磨かれる そんな気持ちにも

なったよ そうなれたらほんと“1人前の鍋磨き”だろうな お前も頑張れ!」


その先輩の言葉に“ああ 素晴らしいな”と思う反面 気持ちの入っていない

状態を見透かされながらも優しい言葉を掛けてくれた その事に感謝だった

あれから 年月が経ち 今 運有って自分で店を持てる立場になれたが

こうやって鍋磨きをする時 少しばかりだが 心が洗われる そんな思いだ

まだまだ 自分は1人前では無いけど…


鍋に「何時も 美味しい料理をサポートしてくれてありがとう!」と言いながら

「これからも 頼むで 相棒」と念押しして鍋を磨いている今日この頃(笑)


あの厳しかった修行時代も今となっては 懐かしい思い出に昇華した

下積みがあったから 今の自分があるのだ…改めて認識した次第
たけぶろ-坊主鍋