分娩台の上の誓い(笑) | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

はい、2番目の子Bは、妊娠中、トラブルがございました。


主治医からは「今回はあきらめてください」と言われました。


迷いました。



主人と主人の母(義母)以外、主治医に従うべきという考えでした。


今のように、羊水検査だーの、出生前診断だーのがない時代でして、

どうしたらいいのか本当に迷いました。


一番大きかったのは主人の考えでした。


でもさ、結局母親が大変になる・・・・・・。

家族が一生背負っていかねばならなくなるんだよ。



ことの重大さに、どうするのが良いのか悩みました。

何かあった時、親として背負っていく覚悟ができませんでした。


決意して医師に伝えなければならない時間が刻々と迫ります。


私はどちらをも決意できませんでした。


私は「賭け」に出ました。


この子が、この世に生まれる「使命」があるなら、生まれさせてください。

そうでなければ、妊娠の途中で自然淘汰させてください。


この世に「生まれる使命」があって生まれるのでしたら、

この子がどのような形であっても、受け入れます。




いろいろありましたが、分娩の日を迎えました。


状態が良いわけではありませんでしたが、

なんとか出産しました。



初めてBを見たその時、私は分娩台の上で誓いました。

                      ↑

            分娩台の上でよ、分娩台の上でプンプン



「この子は何かの使命があってこの世に生まれたのですね。

この子を医療のために捧げます。」



何かの異常がある可能性もあったので、

医療の進歩のために役立ててほしいと思ったのです。





18年後、分娩台の上で誓ったことは

「自らが医療に携わる立場につく」という形で道が開きました。


こんな日が来るなんて、誰が想像できたでしょうか。


人生とはよくわからないものですね。




     M字開脚の誓いドクロ