「親」という字は「木」の上に「立って」「見る」 | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

よく

「親」という字は

「木」の上に「立って」「見る」


と言われます。


木の上に立って、上から「上から目線で」子供を見おろすのではありません。


木の上に立って

子供の人生の将来の希望まで見据えて、

そして今の子供を見るってことです。


ところが当事者になると

なかなかこれができないんですよ~。


目の前の子供からは、絶望しか感じられないことも多々・・・・




でも、それでいいんじゃないかと思います。


意識の中で

「この子の中に、将来の希望を見ていきたい」と願うだけで

ちょっとだけでも思うだけで、


それだけで合格に違いないと思います。



可能ならば、忍耐強く(親がね)

「超高級 本革サンドバック」になっていけるよう

助けてくれる、信頼できる人と交わることをお勧めします。


朱に交われば赤くなる

真の助け手となってくれる人と交われば、八方ふさがりの中にも風穴があく・・・


我が家の場合、カウンセラーの先生がその役割をしてくださいました。


その交わりは、ネット上でも構わないと思います。


ネットは危険もありますが、

匿名であるがゆえに本音を書くことができるという利点もあります。


ただ、親子の殺し合いになりそうな状況の真っ最中では、

こちらの神経も敏感になっていました。


「壮絶な親子の話」などと書いてある記事を読んでも

「これで壮絶?どこが?」なんて思ったり、

「これって実話じゃないことも入ってるでしょ」と感じたり。

記事から敏感に「上から目線」を感じたり・・・・・。


私自身の心がとてもささくれ立っていたので、すごく鋭くなっていて、

「本当にわかってくれる人なのか」

「本当に経験から語っている人なのか」の区別を

悲しいほどに察知してしまった時期でもありました。

(ええ、一方的に私が勝手に感じただけなんですがドクロ



「木の上に立って

子供の人生の将来の希望まで見据えて

そして今の子供を見る


可能であれば、親自身が「勇気づけてくださる方との出会いを持つ」ことを

お勧めします。






世間なんてー、無責任で興味本位でしかないしぃー。


こっちはこの状況が一生続いちゃうんじゃないかと、「絶望」しか感じられなくて

追い込まれていってしまってんですよー。

とほほ・・・・