現役生Bの私立医学部受験(落ちた) | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

2番目の子Bは高校受験で進学校の受験に失敗し、

すべり止め高の特進科に進学しました。


これが吉とでました。


高校2年までで高校の課程をほぼ終わらせ、

高校3年には受験に向けた授業をしていただきました。


結果的には現役で国公立医学部に合格しましたが、センター撃沈。


一般入試で二次逆転できたのも、

現役生には不利とみられる2次試験の問題にも

対応できる力をつけていただいたからだと思います。


とはいえ、様々なドラマがありました。

自治医科大学受験記は昨日書きましたが、この他にも。


2番目の子Bは国公立医学部志望ながら、

上の子Aの時に失敗した様々な情報不足を味わいたくなく、

本人の希望もあって(というか友人に誘われ)

私立医学部も受験することになりました。


ところがセンター試験(撃沈)後すぐに試験のあった医科大学では、

1次合格者が大量に出るのに落ちてしまったB。あらら。


「適正検査」のクレベリン検査も行うので、

幼少時に発達障害を疑われたこともあり、

それが適性検査にでちゃったんだろうか・・・


親からすれば、軽く一次は通るだろうと甘く考えていましたので、

いらぬことまで考えてしまいました。


今思えば、受験期の母親は(少なくとも私は)

かなり精神的に「フツー」ではなかったように思います。


子供がうまくいかない時、「私が出産時にしっかり生んでやれば」とか

「小さい時からきちんと育ててやれば・・・」とか「高校受験も失敗して

、この子は大学受験も挫折を経験するのか」など、

わけのわからぬ後悔に苛まれていくという、

本当に「フツー」でない心理状態だったと思います。


本人に言わせれば「12月からセンター対策しかやっていなかったので、

理科2科目のⅡは手付かずだったから落ちて当然」とのこと。


本人のほうがケロッとしていました。


その後まもなく、自治医科大学の試験がありました。


(こちらは自治医科大学受験回顧録で)


自治医科大学の試験では、

Bは各都道府県で行われる学科試験と面接試験の合格者となり、

栃木の自治医科大学での面接と小論文の二次試験を受験してきました。


栃木から戻った時、別の私立医学部の一次合格が判明しました。


しかし、すっかり自治医科大学の虜になったBは

「浪人してでも自治医科大学に行きたい」と言い出しました。


国公立前期試験前の貴重な時期に、

私立医学部の2次試験を受験に行くより

2次試験対策をしたいということで、

私立の2次試験は受験しませんでした。


これまた母にとっては「え~~~???」でした。

「一つでも合格の可能性を持っていて欲しいのに。


受験しなかったらゼロでしょ。現役なのに・・・」という

思いがぐるぐるしました。


そう、実は安心したいのはこちら、母親の私のほうだったのです。


学校もそうでした。


一つでも「合格実績を出したい」ということで、

担任の先生も説得に当たってくださいましたが、

Bの決心は変わりませんでした。


結局、自治医科大学の合格者にはなれず、

初っ端に受験した私立の一次合格すらならず、

せっかく一次合格した私立は2次放棄。


いよいよ崖っぷちになったB。


こうしてまたまた母親の心労は続くのでした。


偏差値上では

 自治医科大学 > 1次合格して2次放棄したK大学 >1次不合格のI大学 です。


なのに偏差値上で低いI大学には1次すら合格できませんでした。


私立医学部の不思議がここにもあると思いました。