ずーーーっと更新できぬまま早半年。
福島生まれの私にとって3・11の大震災、原発事故はあまりに衝撃過ぎて、部分胞状奇胎のショックともあいまってなんだかずーっと気分のさえない春。
仕事の忙しさを理由に今まで突っ走ってきたような・・・
術後の経過は良好。子づくり解禁まであと2か月ほど。
部分胞状奇胎だと早くて半年で解禁ってブログを見て淡い期待もしていたけど、主治医はかたく、一年は経過観察、との診断を曲げてはくれませんでした(笑)
でもあと2か月。
このままカットオフ値が続くことを願うばかり。
書こう書こうと思いつつ書けなかった手術のことについて書こうと思います。
自分自身手術前にいろいろな方のブログを読んで助けられたので、私も参考までに。
2月14日
朝8:00 朝食を抜いて病院へ
旦那に付き添ってもらい、雪の舞う中病院へ。ついてすぐに子宮口を開くための処置。「ルミナリエ」と
かいう水分で膨らむ棒を何本か入れるとのこと。痛かったという意見が多かったですが、私はちくっと
する程度でした。ふくらますために水気のあるもの(水?生理食塩水?よく聞き取れず)もいれられる
ため、処置後には必ずナプキンを。忘れていた私はすっかりおもらし状態に(泣)
8:30 病室へ
日帰り手術の患者は個室、という病院の方針のため、費用はかさんだものの他の妊婦さんを見るこ
とはなく精神的にはありがたい配慮。部屋の説明やら事務的な話を一通り聞いた後、病院着に着替
え(浴衣のような薄いもので寒かった。)しばし点滴待ち。
9:00 病棟の医師が点滴に来る
水分補給と緊急時の動脈確保の目的をかねての点滴。最近の点滴は針を刺した後に細いチューブ
だけを血管に残して針を抜く、というものになっていることを知り、一瞬感心する。針が抜かれた後も
痛みはなく、楽。その後はベットで手術の時間まで待機。
音楽を聴いたり本を読んだり、寝たりして過ごす。寒さと不安からか?トイレが近く、点滴の交換まで
に3度ほどトイレへ。そのたびにルミナリエが出ないかとひやひやする。個室なので部屋にトイレがあ
ることも助かった。旦那は売店に行ったり寝たりゲームをしたり…
12:00くらい? 点滴の交換
ナースコールで呼び出し替えてもらった。手術の時間はまだ決まらず。(主治医の午前の外来終了
後とのこと。)なので12時半前に旦那に食事に出てもらうことに。旦那が出て10分もしないうちに「手
術は1時から」との連絡。あわてて旦那に電話をして、再度トイレへ。
12:45 ナースがお迎えに
トイレに行って間もないもののもう一度トイレへ。トイレから出ると走って戻って来た旦那とナースが
部屋にお迎えに。廊下にあるストレッチャーに自分で横になりナースに押されて手術室に。入口のド
アのところで旦那とはおわかれ。「がんばって」と手を握ってくれたものの、なんだかドラマのワンシー
ンのようで気恥ずかしかった。
12:50 手術室へ
扉を2つ抜けた先のところに緑の手術着を来た背の高い女性が待っていた。ナースが患者名や手術
名、血圧、点滴などについて引き継ぎをする。手術名はドイツ語でアウス。日本語に直訳すると人工
妊娠中絶術。医師が診断書に書いたのは子宮内容物掻把術。手術が決まってから中絶と同じ手術
名であると知ってなんとなく罪悪感を感じていたがなぜかここで最大限の罪悪感を感じ、胸がくるしく
なった。
ここからはストレッチャーを緑の服の女性が押して手術室へ入る。手術室までの廊下は緩やかな下
り坂でとても長く感じた。2回角を曲がった先のドアの向こうが手術室だった。
12:55 手術室にて
手術着の男性2人が待っており、一人は麻酔科の医師とのことで名を告げられる。連れてきてくれた
女性と3人で私をシーツごと?持ち上げ手術代に移してくれる。重たいだろうな…と一瞬思う。ベットに
のるともう一人の男性が血圧を測ったり心電図の電極を付けたりする。電極が付けられるとピコピコ
とよくドラマできく心臓の音が聞こえてくる。ここでもドラマのようだ、と思ってしまう。そうしてるうちに主
治医が来る。手術着で頭に帽子もかぶっていたため、はじめわからず。「大丈夫だよ」とポンポンと肩
をたたき笑いかけてくれた。それから「手と足を固定します」と言われ、手と足を台に固定される。下着
も付けていないためとても恥ずかしいが、自分の目の前の棒に白いタオルがつるされているため、私
からはなにも見えない。
そうしているうちに「マスクつけます」とマスクがはめられ「シュー」という音とともに甘い匂いがする。こ
れも麻酔の一種なのか?頭上に見える照明が明るくはっきりと見えるので私の意識はまだまだクり
アだし眠くない。
13:00ごろ? 手術開始
「麻酔入れます。腕が痛くなります。」と言われ、点滴のルートの一部から麻酔薬が入ってくる。左腕
を焼かれているのでは?と思うようなじりじりした痛みを感じて眉をひそめる。すると女性が「痛いよ
ね、痛いよね」と言って優しく左腕をさすってくれる。それまで眠たくなんてない、と意識がはっきりして
いたのに突然瞼が重くなった。どうしても目を開けていられなくなり、照明がぼんやり見えてきた…
ここからの記憶はなく、「終わりましたよ」と肩をたたかれてはっと目を開けたものの、朦朧として真っ
白くふわふわした感じに包まれて心地がいい。また目を閉じようとしたところで「手術は成功です」と主
治医に話しかけられた。
…とそこで一気に意識が戻り、「赤ちゃんもういないんだ」というとてつもない喪失感に襲われて涙が
あふれてきた。麻酔がさめきっていないため、自分で涙をふくことも、止めることもできない。子どもみ
たいに泣きじゃくってしまった。そんな私を見て女性が涙を拭いて「大丈夫、次はきっと元気な赤ちゃ
んを産めるから」と優しく頭をなででくれた。それがうれしくもあり、甘えていいんだという気の緩みもで
てしまい、ばらく涙が止まらなかった。
13:55ごろ 旦那と再会
泣きながら女性にストレッチャーを押されて入口でナースに引き渡され、病室に。ナース2名でベット
に移してくれ、忙しく体温や血圧を測られた後、旦那が入ってくる。この時もまだ涙は止まらず。旦那
は優しく頭をなでて「がんばったね」と言ってくれた。でも、それじゃ足りない、と自分でもなにが不満
だったかは朦朧としていてよくわからないが私の泣きはエスカレートしてしまった。…とそうしているう
ちに寝てしまい、起きたり寝たりとても長い間朦朧としている気がした。
16:00ごろ? ナースが出血をチェック
手術後は紙おむつ上の大きなナプキンをあてられているのだが、それをナースが開けて出血をチェッ
ク。特に問題なしということで「行けるようならトイレに行ってみてくださいね」との過酷なコメント。頭が
重くだるかったのでつらかったが、早く帰りたいという気持ちもありなんとか起きてトイレへ。無事に出
たものの全身がだるく食べていないせいもあってふらふらしてさらに乗り物酔いの時のように気持
ちが悪い。もう一度ベットに横になり次のナースからの指示を待つ。
併せてここで点滴も無くなったので外してもらった。水分摂取の許可も出たため、旦那に水を買って
きてもらい水を飲む。
16:30ごろ 診察へ
再びナースが来て、トイレが出たかの確認の後、診察室へ誘導される。途中血圧を測り、内診台へ。
術後に入れたというガーゼをまず取り出したのだがとてもとても長いガーゼが入っていたようでなか
なか出きらない。その感触がとても気持ち悪かった。その後内診。問題なしとのことで帰宅を許可さ
れる。しかしながら気分は悪く、もう少しだけ休むことにし、その間主人が会計を済ませたり、退院の
手続きをしてくれた。
旦那の手続きの間、約30分かけて着替え(1枚着るごとに横になった)をしていざ退院。
病院の入口まではとてもとても長い道のりで、途中何度も椅子に座ったりしゃがんだりなかなかたど
りつけなかった。
17:30ごろ ファミレスへ
麻酔が切れてきたのを感じるとともに空腹感を感じ、自分はもとより急いで昼食を済ませたためにと
ても空腹を訴えていた旦那のためにもまずは食事を、ということでファミレスへ。平日で人も少なかっ
たため、泣きはらした汚い顔だったがきにはならなかった。しかしまたここでも不意に悲しみが襲って
きて泣いてしまう。精神的に非常に不安定になっているのだと実感したが、食べた。はじめは気持ち
悪いと思ったが食べてみたら意外に平気で食べると少し元気が出てきた。もらってきた感染予防の
抗生物質を飲んだ。
18:00ごろ 帰宅とその後
帰宅後もそこまでの出血はなく、就寝。主治医は翌々日から仕事していいと言っていたが、職場の理
解もあり(感謝!)一週間の休みを取得し、術後3日目に実家に帰省。帰省の後にかなりの出血であ
せったものの、病院に電話したところ取りきれなかったものが出ているとの見解に安心。その翌日38
度の発熱でまた焦って病院に電話するも「風邪薬で様子見て」との指示。風邪薬で一発で解熱。たい
したことはなく、実家で羽を伸ばし、旦那のもとへ帰宅。
1週間後 検診。術後の経過は良好。しかし、病理検査の結果、部分胞状奇胎が確定。鮮やかなピンクの粒々
の顕微鏡写真を見せていただき、2度目の手術も確定…
まったく同じ手続きと、ほぼ同じ時間軸で(手術時間は1度目の半分ほどで帰宅も早かったけど)2度
目の手術を受ける。2度目の病理検査では胞状奇胎の細胞は確認されず、経過は良好。あとは2週間
に一度の血液検査を4月まで。4月以降は月に1度の血液検査。数値は順調に下がり、7月に感度以
下(実質ゼロ)になり後は12月の解禁を待つのみ。
以上が私の手術の回想。
今だからさらっと書けたけど、精神的にはかなりボロボロで、ふとした時に涙があふれたり(特にお風呂では毎日ないてました…)いわゆるうつ状態だったような気がします…自分がカウンセリング心理学専攻じゃなければきっと精神科にかかっていたことでしょう…ちなみに体が回復してから水子供養もして自分なりにしっかり赤ちゃんとのお別れの儀式をしてから気持ちが少しずつ楽になりましたが。(心理学では「喪の作業」と言って、近親者の喪失のショックからの回復には必要なことだといわれています、確か…)
回復するとはいえ、それほどに、流産、子宮外妊娠、胞状奇胎は女性にとってとてもとても大きな精神的ショックを与えるものであることを実感しました。さらに、同時期に友達やら親戚やらがつぎつぎと出産し母になっていく現実に直面することは精神的な追い打ちをかけるものであることも実感しました。
別に出産だけが人生と思っていないし、友達や親戚とと競争つもりもさらさらない、そう思っていてさえ、妊娠の喜びから一転流産、手術を経験した女性にとっては周りの出産や喜びというのは(もちろん人にもよるとは思いますが)分かち合い難いものであると私は思っています。
だから、もしこのブログを見てくださっている男性の方がいたら、奥様のつらい状況に対して「次は大丈夫」だなんて安易に前向きな言葉をかけないでほしいなぁって思うんです。できれば、お姑さんからの安易な連絡もしないように、奥様の側に立って、ご両親に見守っていてほしいということを伝えてほしいなって思うんです。
経験した人でないとわからないつらさ、とても大きな喪失感があるんです。周りからとやかく原因を追究されたり、安易に「大丈夫?」っていわれるのがつらいんです。そもそも「大丈夫」なんて返事できる状態じゃないんだもの。。。
私の希望としては、旦那さまには「家事や仕事をしないでゆっくり体を休めてね」ということを、お姑さんや周りの人からは「回復したら連絡してね」ということを言っていただけるのがありがないなぁ…と個人的な見解ですが…
いずれにしても、個人的な感じ方は人それぞれですから私が言っていることと真逆の方ももちろんたくさんいらっしゃると思いますが、個人的な気持ちを述べさせていただきました。
最後にもう一つ。麻酔から覚める手前の真っ白いふわふわした感覚が死ぬ時の感覚だとしたら、死ぬという感覚はもしかしたらすべての現実から切り離された一切の恐怖のないものなのかもしれない、とふと思いました。死ぬって現実の感覚から考えると恐怖でしたないけれど…そう考えると、とりあえずなかなかできない体験ができたかな、と…
長い長い記事を最後までお読みいただきありがとうございました。
これを読まれているあなたや、その周りの方々に今はつらくとも、それを乗り越えられた後にたくさんの幸せが訪れますことを心よりお祈りしております。