カタリバとロハスビジネスと新丸ビル | 塾生150メールマガジンバックナンバー

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夏休みになりましたあー!なんか気が付いたら試験が終わっていた感じであんまり勉強した気がしないのですけど(実際してないという突っ込みもある)、夏休みは夏休み!同学年は来年就職なので同学年の友達とは最後の夏休みになりますね。地球温暖化もビックリなアツいリア充(笑)な夏にしたいものです。

さて先日は友達に誘われてNPOカタリバの企画に参加してきました。高校生と大学生が語る場を通して高校生へ気付きやきっかけを作っていこうとのことです。最終確認@オリセン→なぜか朝までオール→朝早く町田の近くの小川高校という高校に行く(今回の生徒はつい最近までJCだった高1)→教室に乗り込む→体育館に移動して語る、3時間(担当は全員JKのグループ!)→反省会(→帰宅後爆睡、翌日の試験はノー勉で挑む)という流れでした。JK10人と戯れる時間を楽しめました。。。
http://www.katariba.net/

自分とは違った価値観で動いている人たちと過ごせたのである意味新鮮でした。少し批判的なことを言うと、たかが半日しゃべったくらいで何が変わるというのか(高校生からのアンケートでも効果があったとはとても言えない結果だった)、または逆に、もし何か変わる事があったとしてらその高校生の人生を左右するほどの影響を与える権利と責任はただの大学生にあるのか、と思ってしまう訳です(例えば、人を助ける社会福祉士という仕事は素晴らしいと言われてその高校生が将来頑張って社会福祉士の資格を取って、けど社会保障費削減の政策によってまずは圧力団体の弱い福祉部分から削減され、報酬が下がり生活苦または失業に至ったらその高校生への責任は誰が取ってくれるの?そんなの自己責任だよ、ということです)。人に語るということは少なくともその人の人生に影響を与えるということで、そこにはそれ相応の責任が伴う訳です。そのへんの自覚や権利があるか、責任感があるか、といったことを考えてしまう訳です。カタリバの人たちはそういった真剣な議論よりも、その場の雰囲気や友達と出会える楽しさや、NPO活動をやっている自分に酔っているような牧歌的な集まりだったので何も言わずに見守っていました。それはそれで組織のカルチャーなのでいいと思います。

というのが理念への疑問。もう一つが運営への疑問で、この活動を大きくしていくには規模に限界があるな、と思いました。この半日の企画に要するリソースを見積もると、大学生は約40人、準備期間は1ヶ月前からといったところでしょうか。しかし、両親が教師をしているからわかるのですが、実際には総合学習の時間というのは大した予算もなく、毎週一回の授業を教師一人で回している状況な訳です(これには当然無理がある訳ですが)、つまり、うがった見方をすれば、文部科学省として総合学習に割り当てる事のできる限られたリソースで誰もが苦心している中で、カタリバが都合の良いアウトソース先に使われているのではないかというこです。しかし、これには限界があるのは明らかです。全国に公立高校が何校あるのか知りませんが、それらの毎週の総合学習の時間を、すべてやろうとしたら大学生が何人必要になるのか、大学生40人分の一ヶ月というリソースをもし何か別の活動に使っていたらどんな生産的なことができただとうと損失してしまった機会のほうと比べて考えてしまう訳です。公共事業にしたいのであれば効率性が問われ、予算を割くからには評価できる効果を求められ、逆に効果を評価できないものには予算を割けない(という仕組みにお役所はなっている)からです。つまりこのような費用対効果が極端に悪い活動は、公共事業にすることは出来ずに、ボランティアを前提とした慈善活動から抜けられないなと思いました(代表理事がどこをゴールに考えているかによりますが)。

もし社会にインパクトを与えることをミッションにするのであれば、非営利組織としても経営力や効率性を問われる時代になっていくと思います。社会起業家、社会事業家、NPO、NGO、ソーシャルベンチャー、ソーシャルアントレプレナー、ソーシャルイノベータ、チェンジメイカーなどなどいろいろと呼び名はありますが、これからの日本はまさしく市民組織や非営利組織の時代になっていくと思います。社会起業はまさに社会にインパクト(規模)やヴァリュー(質)を与えてナンボだとぼくは考えています。そこには当然リソースの効率的な運営と管理が必要です。そこが社会起業とボランティアとの最大の違いでしょう。今回その課題点が見えてきたので、またちょっと調べて書きたいと思います。


さて、昨日は試験終了後いつもの新丸ビルにいってきました(その前はiPS細胞で有名な山中京大教授のセミナーがお隣のKMCCでありました!)。エコッチェリアで丸の内インタラクションプロジェクトのキックオフということで環境ビジネスのフォーラムでした。ロハスやエコをビジネスにされている方、日本の伝統芸能や地方再生をビジネスにしている方、とても刺激的で楽しいお話を聞く事が出来ました。今まで古くカッコわるいと思われていたもの、今まで見捨てられていたものに着目して、ビジネスモデルを作って事業化していく課程を通して、そこには経済と融合した様々なものが美しく共存していました。日本の中心丸の内から、こうやって新しい可能性と文化が、日本に世界に発信されて行くのだと思いました。
http://www.marubiru.jp/01_event/event/21c_08summer/index.html

その後は三菱地所の街ブランド企画部の方々、インターン生、MYC(丸の内ユースコミュニティ)、21cクラブ会員の方々とパーティをしました。とはいってもほとんど知り合いまたは知り合いの知り合いで、世界は狭いなと思いました(笑)そこで感じた事を少し。
日本は自由経済主義の資本主義の社会です。経済あって初めて活動は実現性と持続可能性を得る事が出来るわけです。どんなにいいことでも、医療も、教育も、環境も、福祉も、介護も、それがどんなに社会的に善であり必要なことであったとしても、資本主義の前提である経済力を持たなければその理念は実現されない、もしくは実現しても継続されない訳です(どんなに素晴らしい理念の会社でも潰れたらおしまい)。こういうとどこか物悲しくに思われるかも知れませんが、それが社会の仕組みがそうなっている以上、それに従いながら理念とをうまく共存する仕組みを頭を使って考えて行くしかないのです(それが嫌なら一生ボランティアしてるか社会主義国を別に作ってください)。金儲けは悪で、ひた向きに努力することが美徳、という価値観といった時代がかつての日本にはありましたが(いまもまだあるかも)、価値観というのは一部の人間が先導してロールモデルを作り、破壊と想像していくものなのでしょう。金儲けをしたならそのお金でさらに社会に還元していけば、目的を社会貢献に置くという理念を達成するための金儲けは手段であり、それ自体として悪い事でも何でもありません(というか手段はその目的によって価値を評価されるべきで、手段に依存した価値判断はするべきではないと思う)。実際に多くの優良企業がそのような理念を掲げていることに調べてみて気付いて驚いた。今日のセッションを聞いて、自分自身も含め、もっと視野を広く、古い考え方を捨てていかなければならないなと思いました。「イノベータの条件(PFドラッカー)」

これからも新丸ビルの集まりには定期的に参加していこうと思います。というか新しい団体の立ち上げに参画することになってしまったのでちょっと頑張ろうと思います。ではまた!