佐久総合病院から帰って来ました!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E7%B7%8F%E5%90%88%E7%97%85%E9%99%A2
I-cubeという医療について考える集まりに出会って、初めは興味本意だったがあれよあれよという間に勉強会のレジュメ作り係になっており、そのテーマを文献を調べているうちに佐久総合病院という場所と若月俊一医師という人物に惹かれて行く自分がいた。これは実際に行ってみなくてはと思い立ち佐久総合病院に勤務されている先輩に連絡を取り、一週間後、ぼくは佐久に向かっていた。
佐久総合病院は、内科医兼随筆家の南木佳士の小説にもよく出て来たので名前は知っていた。東信州、関東から碓井峠を越えた、山間部の農村地帯に、その病院はあった。今でさえ病床数800床を越えるその病院は、若月俊一の描いた理想の医療を実践し、その信念を貫き通し、若月俊一が亡くなった後もその意志は人々の心に確実に残り続けていた。
午前中、地域ケア科医長の方とご一緒に旧八千穂村地区の往診に同行させて頂いた。この地域は交通手段もなく、高齢化も激しい、そのような患者さんを見るために長野全地域を医師と看護師が出向いて診療するのだという。これを50年前から続けているのだから驚きだ。
「今日はどうかご指導のほどよろしくお願いします!」
「五十嵐君はどうして医者になろうと思ったの?」
「はい、人や社会の役に立ちたいと思ったからです。医者という職業は目の前の人を助けられるかどうかで、そのためにどんな医療ができるか、とてもやり甲斐のある職業だと思ったからです。」
「50点だな。その考え方はもしかしたら凄く危ないかも知れないね。」
「えっ、、、」
午前中で3名の患者さんの往診に伺った。一人目、80歳女性、末期膵臓がん、明らかに強い黄疸が出ており、膵・肝機能は壊滅的で、おそらくリンパにも転移していることは看てすぐにわかった。孫が先月生まれたのだという、お孫さんよかったですね!と声を掛けると、夫は孫が生まれてすぐに先立たれた、次は自分の番が来た、という患者さん、ずっと涙が出て仕方がないという。充血と黄疸で目が苦しそうだった。二人目、同じく80歳、慢性閉塞性肺疾患、全身に浮腫が見られ、骨粗鬆症による骨折もあり寝たきり、家族なしの一人暮らしで、読書が趣味だったが視力も低下し、もう生きる事が嫌だという。凄腕の看護師だったらしく、往診に来た看護師に対してもきつく当たる、一人暮らしの寂しさを苛立ちと焦りで人にぶつける、みんな最大限の事はやっているのにと思ったけどとても言えなかった。でも帰り際に、また来て頂戴、と見せた顔が忘れられなかった。三人目、40代女性、慢性疲労症候群、疲れて何もできない病気とのことで、除外診療のため原因は不明、つまり根本的な治療法はなく、派生症状である味覚の異常感への亜鉛の処方という対症療法くらいしか出来る事はない。普通の主婦だったが急に発症し、家事ができなくなり、村からは家事のできない嫁だと罵られ、医学的にできる処置は今のところなし。本当はおしゃべりもしたいけどすぐに疲れてしまうので出来ないのだという、ぼくにはその辛さが半分も理解できなかった。
「医療って何だと思う?」
「ぼくは医療技術や医薬の力を使って患者さんを元気にする事が医療だと思っていました。でも、正直わからなくなりました。」
「医者が出来る事は本当にわずかだよ。みんな自分の力で病気を治しているんだと勘違いしてしまうんだ。五十嵐君、患者さんを看ているかい?」
「患者さん、看ているつもりでした。」
「何が出来るか、患者さんから学んでいくんだ。なぜ50点って言ったかわかったか。」
地域医療の旗手の地と言われる、長野県佐久市。
今でもその理念は、農民とともに。農民→患者さんまたは地域市民、農村→地域または僻地、と翻訳して読むと今も当時もそのまんま。
佐久総合病院は昭和20年に出来た、小さな診療所だった。おそらく今以上にエリートだった帝京大医学部から、共産主義運動の容疑があり、飛ばされた若月俊一はそこで「農村医療」を行った。農民、戦時中、戦後、まともな医療を受けられなかった農民に対して何が出来るのか、「農民とともに」、農民のニーズに応える事は何でもやった。医療の中に地域医療があるのではなく、地域の中に医療がある。予防は医療に勝る。病気を看るのでなく、患者さんを看る、地域を看る。誰もが平等に、社会的弱者に医療はある。赤字でもやる、勤務時間外でもやる。地域との対立、医師間の対立、コメディカルとの対立、すべて互いが納得がいくまで議論する。あらゆる努力が結果として信頼関係を生む。佐久総合病院はそのような場所であった。救急医療のため多額のドクターヘリを導入、地域のニーズに応えるため高度ながん治療機器への設備投資。すべては患者さんのために。約25年前に書かれた言葉、それは今に通じる、むしろ時代が佐久総合病院に追い着いたのだと思った。
若月俊一は今はもういない。お忙しい中お話を伺わせて頂いた、地域診療科の医師、看護師、健康管理センターの職員、労働組合の事務員、検査技師、一般事務、全員が全員同じ意志で動き、同じ使命を持っていた。なんだこの一体感は、団結感は、と気持ち悪いくらい。真似しようとしてもこれは到底出来ないな、と感じた。自分が医学とは、医療とは、いかに考えている「つもり」になっていたかを痛感した。考えていたつもりで実は何も考えていなかった。現場だからこそ見えるもの。また一つ、危ないところだった。
>さてもう一つは、別の話で、ちょうどその前日、ある大学病院の内科の研修医指導医の方のお話を伺う機会があった。話の中で、研修医の間に何を身につけておいて欲しいか、その方曰く2点だという。
・この患者さんが命に関わる状態であるか、そうでないかをきちんと見分けられるようになってほしい
・自分の力で出来る事、出来ない事をしっかり境目を見極められるようになって欲しい
よくも悪くも大学病院だなと思った。もし、若月俊一先生に同じ質問をしたら何と答えただろうか。時代を越えて、表現を越えて成り立つもの、今求められるもの。
>最後にもう一つ、よくありそうな話。
ア)医者というのは全く閉鎖的で、専門分野の上に胡座をかいており、社会の事を全く知らない、社会性やコミュニケーション能力が欠如している医者はけしからん!
イ)最近の医者は、医療以外の事にころころ興味を持って、全く本業のをおざなりにして、医者としての本性を忘れておる!
ウ)地方の医療が危ない、医療機関が潰れないか心配だ、安心と安全を求めて大病院への一極集中が起こっている。なんとか地方に魅力を持ってもらえる仕組みを医療関係者だけではなく、政策、経済的合理性の中で作れないだろうか?
エ)医療は神聖なものだ。そこに経済や政治など人間の汚い、醜いものを混ぜ合わせるなど言語道断だ。医者は医療以外に目もくれずに医療だけやっていればいい。
「、、、おぽぽ」
オ)家庭医ー専門医のなんりゃらも要は同じなので略。
おそらく、医療と社会、社会と医療、医療と経済、医療と政治、医療と、、、
それは人間が勝手に決めてそれでここからここまではお前でここからここまではこっちと便宜上同意しているに過ぎなく、本質は同じ物を違った目から見ただけで、流動的で、混在的で、実存的なものだ。仮説と検証、再構築。矛盾と矛盾。orとandとaufheben。たぶん、答えはないかも知れないが、だとしてもそれを見たいという一種の執念だろうな。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。「草枕(夏目漱石)」
そんなことを考えた。
「村で病気とたたかう(若月俊一)」、「信州に上医あり(南木佳士)」、「農村医学(若月俊一)」、「若月俊一の遺言(農村医療の原点編集委員会)」、「賃金・価格及び利潤(カール・マルクス)」、「論理学(フリードリヒ・ヘーゲル)」、最後の二冊はあくまで参考までに。では!