日本★京都|紅葉散策【一休寺】#02 拝観料無料エリアの紅葉(2022.11.11) | *(ΘェΘ)*R-panda☆中国写真館

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中国から日本帰国中。
 




11月11日(金)

紅葉が見れそうなスポットを探していて見つけた

JR学研都市線【京田辺駅】からウォーキングがてら、、、

注意入場料金(大人(中学生以上)500円、小人250円)

拝観時間 9:00〜17:00(宝物殿 9:30〜16:30)

 沿革

当時の元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場をここに建てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が康正年中(1455〜6年)、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明13年(1481年)11月21日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのである。



 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。幼い頃より漢詩の才能を開花させ、『長門春草』を13歳のときに、15歳では『春衣宿花』を著しています。一休の名付け親は大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)。一休の「「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華叟が道号として授けました。その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。


【一休寺】の公式HPより抜粋


私はチョット寄り道しちゃいましたけどね〜酔っ払い笑
焼肉ホルモン焼肉【かわむら】で一人昼呑み♪





JR学研都市線【京田辺駅】から

【酬恩庵(一休寺)】#02拝観料無料エリアの紅葉



総門(表門)をくぐると、、、









石畳の参道も良い雰囲気でした。




















ここまででも十分楽しめます。


拝観受付があり、ココから先は拝観料が必要です。







紅葉紅葉を見逃してしまった方にも
一緒に楽しんでいただけたら…と思います☆

つづくバイバイ


イベントバナー

 


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