今年はお札が刷新されて、新札が出回ります。




お札に選ばれる人は特徴のある顔である必要がありますが、それ以外にも日本文明が進化するのに偉大なる貢献をした昔の人である必要もあります。


また、特定の企業に貢献した人はだめでしょうから、例えばソニーやトヨタの創業者は偉大ではあるが、お札の肖像にはなれないかと思います。




お札毎に金額は異なりますが、福沢諭吉がめちゃくちゃ偉大というわけではなく、貢献度で高額なお札に選ばれるわけではないかと思います。


福沢諭吉と言えば、慶應義塾大学の創設者で有名ですが、創設当時は政府の補助金なしでは運営できず、補助金の交渉に行ったら補助金欲しければ明治政府に入れよ、と言われたりしていたようです。


また、時事新報という新聞社を設立しますが、関西出身の新聞社にシェアを奪われて、経営難になって吸収合併されています。


また、幼少期から酒飲みで酒による失敗談も多く、大酒飲み、禁酒できない、失敗多い人間なので、これでお札に選ばれるなら、他の人材が選ばれないのは不思議ですね。




例えば平賀源内がいます。


江戸時代に土用の丑の日にうなぎを食べようを流行らせ、今に至るまでうなぎを食べる習慣が定番化している、これだけでも日本社会に影響を与えたと言えます。



彼の職業をきかれると、誰もが答えに悩むほど色々やってきました。



少年時代には掛け軸を使ったカラクリを独自発明し、それを評価されて医者から本草学という医学や儒学を学び始めます。


それで東洋医学の知識を持っていたのですが、長崎の出島へ出かけて西洋医学も学び、その過程でオランダ語を学んで、ヨーロッパにも精通していきます。


それから本草学を学びに江戸へ上京したのですが、無職で金がなかったので同人誌を作成したら、ベストセラー作家になりました。


ちなみに平賀源内は同性愛者なので、現代でいうBL同人誌も書いており、当時では隠れた人気作だったそうです。



蘭学者として西洋の鉱山開発ノウハウを持っていたので鉱山開発者でもありますが、莫大な金がかかるので、借金まみれになりました。


日本で初めてアスベストを発見したりしたんですが、個人の金で開発出来る金額ではなかったようです。



ここで土用の丑の日を流行らせて、コピーライターとして当時としては超一流のコピーライターになりました。


平賀源内のセールスで瞬く間にヒットした商品には、当時の遊郭で働く美女達に使ってもらったりしたので、今で言うダイレクトマーケティングとやっていました。



その後、エレキテルブームが起きますが、エレキテルは輸入品で数が少なく高価でした。


その分、壊れても直せる人がいなかったのですが、平賀源内は原理はわかんないけど、バラバラに分解したら直せたということから、一流のエレキテル修理師になります。



平賀源内は当時出島からしか入ってこない珍しい品々に精通しており、日本初の万歩計や方位磁石や体温計を作ってます。


勿論、輸入品より安価です。


あ、このときについでで日本初の西洋画を描いてます。



こういった物で稼いで借金を返しながら、平賀源内は自分の知らない物を見たい!という欲望から、日本初の博覧会を開催します。


厳密には平賀源内が関わる前からありましたが、口コミでしか広まらず、今でいう研究会規模だったようです。


そこへ平賀源内が関わるとスポンサーを募って金を集め、スポンサーの名前が書かれたチラシを作成し、当時の日本全国でチラシを配布するということをしました。


今のような配達手段のない江戸時代にです。


更には遠くの参加者の為に、参加者は飛脚に商品を預けるだけで博覧会に出展出来るという、Amazonのマーケットプレイスのようなシステムも導入したことで、それまでの会議室レベルの博覧会をコミケ並の規模にして大ヒットさせ、出展物子カタログ本も作りました。


ちなみに教科書で見かけたことがある解体新書。


この本のイラストを担当した人は平賀源内の西洋画の弟子です。




生涯で蔵の管理人、発明家、植物学者、医者、化学者、薬剤師、地質学者、建築家、陶芸家、劇作家、イラストレイター、コピーライター、作詞作曲家、ブローカー、イベントプランナー、経営コンサルタント、一流営業マンと実に幅多くの職業になり、実績があります。



はっきりいって福沢諭吉より凄いです。


日本経済、日本文化、庶民生活への影響は今もまだ残っている人物です。


まぁ彼の問題点は成功の影に多くの失敗もあり、富豪になれるほどの金を稼ぎながらも常に借金まみれで、生活費を内職で稼いで生活していたことでしょうか。


いや、これだけやっていて内職する暇があるだけでも凄いですけどね。