リクルートホールディングスは年商2.8兆円の巨大情報サービス企業です。




創業は1963年と若い!


時代で言うと、キューピー3分クッキングが始まった年です。


創業者は江副浩正(えぞえひろまさ)。

リクルート事件の主犯であり、リクルート事件というほどリクルートという企業が悪くはなく、この創業者による狂乱が招いたリクルート創業者事件のほうがリアルに近い気がします。



リクルートの最初は、学生新聞である大学新聞の広告代理店としてスタートしました。


それまでの大学新聞はただ企業が売り込みたいものを掲載するだけでした。


それを大学生向け求人とか大学生ターゲットの商品とか、ターゲットの客層に合わせた広告を掲載するようにしたことで、一気に学生から企業への問い合わせが増えて、東大から始まった学生新聞は他の一流大学へと展開されていきます。



そして、遂には日本初の広告のみの雑誌を作ります。


それが求人専門誌です。


それまでは新聞広告やチラシを挟んたりする求人スタイルでした。


ターゲットを新卒限定、しかも大学生や高校生と絞れることから最初は大企業は渋っていたようですが、すぐに学生からの評価が高くて、大企業もバンバン掲載するようになり、刊行して2年目で黒字化です。


まだこの頃は同人サークル並みの企業レベルなのにです。


特に大学生は教授のコネで入社することが多かったことから、学生が行きたい大企業に応募できるというのが革新的だったようです。



この頃からリクルートは大卒採用を重点に置いていました。


無名が大卒を採るために、一流企業よりも初任給が高かったそうです。


当時なら大企業に入社したら発声練習やら雑巾がけから始まりますが、ベンチャーなので、新卒ですら入社日から経験者採用以上で使われます。


中には入社して2年目とかでトヨタの求人広告とってきて、と実質無期限の名古屋出張させられた人もいるとか。


トヨタ本体には断られるも、最終的にはグループ会社のデンソーとかの求人広告で実績を作ることで、トヨタグループ専門の部署ができたほどにまでなったそうです。


また、当時のソニーやホンダはすでに携帯ラジオやカブで成長していましたが、今ほど有名企業ではなかったので、リクルートの高卒版で特集組んだりしたそうです。




こうして、学生向け求人で成長したリクルートは、転職専門誌(リクナビNEXT)、女性専用求人誌(とらばーゆ)を刊行します。


今ならどちらも普通ですが、当時は男女差別があり、女性は一生お茶汲み、電話番とか、男でも転職は難しい時代でした。


しかしながらこの専門誌により、即戦力が欲しい企業の中途採用や、当時は女性専用職の求人と需要と供給が合致して、大成功していきます。




そんな中、江副さんが引っ越ししようとして物件を探そうとしたら、物件情報があてにならない!


駅から徒歩○分は適当だし、日当たりが悪かったり、大通りに面した閑静な住宅とか、嘘だらけ。


これに困った江副さんはリクルートで住宅情報誌(スーモ)を始めることにしました。


求人専門の会社だから、社内では平でも社長に直接反対するほどだったそうです。


しかし、江副さんとしてはリクルートは相互のほしい情報をマッチングさせる為の企業なので、求人に限定したくなかったわけです。



それまでは不動産会社しか掲示してこなかった不動産情報を、物件を持っていないリクルートが提供する。


そんなの無理だろと思われていましたが、スーモに虚偽の情報があるクレームが来ると、実際に物件に足を運んで、全てリクルートスタッフが調べて訂正していきました。


こうなると、同じ物件でも不動産屋の情報が嘘で、スーモが正確となっていき、やがて業界ルールだった徒歩1分80mというのも守られるようになっていきました。



求人誌のときは大手のダイヤモンド社に勝負を挑まれたリクルートですが、住宅情報は新聞社の大事な広告収入の為、読売新聞が挑んできました。


ダイヤモンド社より強力で、金も人もコネも豊富です。


ジャイアンツの人気選手がCMに出るだけでも圧倒的な時代ですからね。


読売新聞に勝てたのは、読売新聞の営業はみんな記事を書きたかったこと。


営業はやりたくないからモチベが凄くひくかった。


リクルートのスーモ部門はスーモは俺が育てる!と皆が言うくらいのモチベなので、数で圧倒されても怯みませんでした。


更に無料誌は専用マガジンラックを設置したり、書店には200円で販売させて、売上は全て書店のものにしてもらうことで販路を固めていって、読売新聞すら打ち破りました。



こうして、その後のリクルートは中古車専門(カーセンサー)、旅行専門(じゃらん)、結婚専門(ゼクシィ)、飲食店専門(ホットペッパー)、と次々に雑誌を刊行していきます。


凄いのが、こういうのやりたいと江副さんに話して、まだ世になくて面白そうならやろう!となること。


しかも入社一年目の新卒女性でもOKなんです。



当時からしたら職場での男女差別は極普通で、大卒男子、高卒男子、大卒高卒女子という序列があって、貴重な大卒女子すら結婚までの繋ぎみたいに扱われていました。


しかしリクルートでは男女平等、仕事出来るなら性別や前職関係なし!


だから女性管理職もいる珍しい企業でもありました。

(確か3代目社長くらいで女性社長だったかと)




そんなリクルートはどんどん成長していきます。


その裏で、日本の高度経済成長に合わせて、江副さんの指示で土地をガンガン買っていきます。


江副さんはリクルートの本業には無関心になって、政治家との食事やと土地漁りに夢中になっていったほど。


それは日本の土地は限られていて、このペースで成長したら土地不足になるから地価が上がるという根拠からでした。



まぁ実際上がりました。


新幹線の駅が出来てから駅前の土地を買っても倍になったりする時代でしたから、再開発なんてなくても、買えば儲かるのが土地でした。



更には江副さんはプライベートで株取引をしていました。


当時のインサイダー取引はグレーゾーン。


マスコミの経済担当や証券マンは自社の規制で売買が禁止されていましたが、それ以外のインサイダー取引は歩行者に横断歩道以外で渡らないでね、というレベルの注意喚起でした。


江副さんはグレーゾーンはやって良し、バレなきゃもっとやって良し、という考えでしたので、数々の情報誌刊行によって得た情報でインサイダー取引しまくっていました。




そこへバブル突入です。


地価は更に高騰して、リクルート傘下のリクルートコスモスというマンション販売や土地転がしをしている会社が更にウハウハ。


何せ1億で買ったマンションが、1億の担保になるので、また1億のマンションを買えるのです。


現代なら意味不明な錬金術ですが、土地価格が下がらないという神話があった当時だからこそ出来るやり方でした。



リクルートコスモスは土地欲しさに地上げもバンバンやっていました。


当時の地上げですから、恐らくヤクザも絡んでいたと思います。


そんなリクルートコスモスの未公開株を、江副さんは仲の良い経営者や議員に買ってもらっていました。


お金がないなら自社の消費者金融で金を借りさせたりして。



これ自体は賄賂になりません。


なぜなら未公開株は公開しても必ず儲かるわけじゃないからです。


ただ、今で見ると、年間の新規公開株を全て100株買って、公開日に売却したら、トータルではプラスになります。


それくらい新規公開株というのはプラスになって当たり前くらいで、その分人気も高いです。


しかも株を譲渡ではなく買わせたから、賄賂にはならないというように意識していました。




実際、最初に捜査されたときは起訴不十分と判断されたそうです。


しかし、これを新聞が取り上げました。


嘘は一切書いていません。


但し、仲良しから買った株であっさりと1億円の利益ゲット、とか合法なんだけど、国民感情的には許せないと思わせる悪意ある書き方はされました。


それで再び捜査。



そこで友達の日経新聞社長が社内規定で禁止されている株式売買に手を付けたので辞任。


NTTは民営化していましたが、まだみなし公務員扱いだったので、恩師の社長が贈収賄。


リクルートををめちゃくちゃ追求していた野党議員に、リクルートコスモスの社長が賄賂を渡すところを野党議員が盗撮させて、リクルートというか、江副さんとリクルートコスモスは一気に終わりを迎えました。



不起訴になった国会議員もたくさんおりましたが、結果的には自民盗が選挙で惨敗する要因の一つにもなりました。



何せ、譲渡の事実があっただけでも、


現職の総理、文部大臣、法務大臣、大蔵大臣(元総理)、官房長官(後の総理)、

元官房長官、元文部大臣、元運輸大臣、元労働大臣4人、元総理、

後の民主党代表、

後の総理3人、後の副総理、後の官房長官3人、後の運輸大臣、後の郵政大臣、後の財務大臣、後の建設大臣、後の農林水産大臣


と、大臣級以上だけでもこれだけの肩書きが並びます。



そして、民間企業の社長は全員が辞任しているにも関わらず、国会議員は殆どが不起訴で辞職もしておりません。


あ、秘書は何人も起訴や辞職しておりますけどね。


あれれ〜、日本の政治おかしいぞ〜?




そんなわけで政治家も多数関係する事件となったので、政治家に関する法律も、株に関する法律も改正されることになりました。



江副さんも公職人にさえ渡さなければ何ら問題にならなかったわけです。


未公開株を友達に譲渡することは現代でもあることです。


まして、売買となれば尚更OK、というか、むしろ買ってもらって資金調達を助けて貰ったりするわけです。




そしてリクルート事件が世間から忘れ去られる前にバブル崩壊が起きました。


株価はピークの半分以下、地価は1/3まで下がりました。


リクルートコスモスは保有している土地や建物を言い値で売りまくりましたが、ファイナンス会社と合わせて、負債は1.8兆円にもなりました。



リクルート本体はリクルート事件で株価こそ暴落しましたが、事業は右肩上がりでした。


ここでこの子会社を潰すか、ギリギリ救済出来るから救済して瀕死になるかで、社内は真っ二つになっていました。




そんな中、自分の保有する固定資産と株で100億単位の借金を背負った江副さんはダイエー創業者に、自らが保有するリクルート株30%を売却します。


すでに辞任しているので、捻出した金を会社の借金にあてるわけではありません。


自分の借金解消の為だけに、会社を売り払ったのです。


しかもリクルートの取締役は誰も知らないまま。



リクルートの取締役は報道される前日夜にそれを知ることになり、リクルートはダイエーの子会社になりました。



ダイエー創業者は金は出したが口は出さず、リクルート流を続けさせ、リクルートは自力で1.8兆円を返済。


更にダイエーから株を買い取れるほどにもなり、今ではメガグループ企業になっています。




江副さんは株や土地バブルに目が眩んだりしなければ、日本を代表する名経営者の一人になっていたでしょう。


構想としては、グーグルの広告収益モデルやアマゾンのクラウド事業と同じものを持っていました。

(当時の日本はそれをさせない環境だった)



デジタル化、オンライン化の将来を見据えていて、日本では最高クラスのスパコンを購入したり、電卓がようやくオフィスに導入される時代にPCを導入したりとハイテクへの投資にはガンガン行っていました。



リクルート創業時から会社はあらゆる情報をマッチングさせるべく集めていたのに、創業者はいつの間にか金の為に情報を集めるようになっていました。



その結果、自分が作った会社の社史に名前も残されない創業者となってしまいました。