こんにちは、栗林あや(いがぐりこ)です。
昨年から、家の中でちょっとした話題が繰り広げられていて、
それが私の心の中で、複雑な感情を呼び起こしてます。
(以下の話には、一部フェイクを含みます)
話の主役は、姑と甥っ子。
甥っ子は24歳で、転職に伴って、新たな一歩を踏み出そうとしています。
そんな彼の背中を、祖母である姑は、
とても心配そうにあれこれと口出ししているのです。
姑は、甥っ子の母親(つまり自分の娘)と何度も電話をしては、
心配している娘から、甥っ子の転職や引越しの相談に乗り、実際に手伝いにも行っているのです。
これを横で聞いていると、私の心はなんだかザワザワしてきます。
「普通の家庭って、こんなものなのかな?」と、ふと考えてしまうのです。
自分を振り返ると、24歳の頃の私は、親から心配をしてもらうどころか、
逆に母親からお金の無心をされて、なけなしの給料から、母への仕送りに追われていました。
転職や生活の変化について、親に相談するなんて考えもしなかったし、
実際、親が何か手伝ってくれるなんてことありませんでした。
それどころか、親からタカられることさえあったのです。
「働けるようになったら、労働力となり、家を支えて親孝行するもの」
そんな価値観の中で育ちました。
だからかもしれません。
姑が孫の就職をこんなに気にかけている姿を見ると、
内心「もう大人なんだから、ほっといたれよ!」と思ってしまいます。
でも、その一方で、
「こんな風に気にかけてくれる大人が当時の私にもいたら、どんなに良かっただろう」
と、少しむなしい気持ちになることもあるのです。
普通の家庭がどんなものかはわかりませんが、
こういうやりとりを見ていると、自分の経験とは随分異なるなぁ、と感じます。
こんな経験をしてきた自分を、「よくやってきた」と自分を褒めてあげたくなります。
就職の手続きも、転職も、ハローワークの手続きも、引越しも、それに伴う住民票などのあらゆる手続きも、あしなが育英会の奨学金の返済も、
私は親に頼らず、全て自分一人でやってきました。
誰かに相談することもなく、誰かの口出しを受けることなく、自分の力で乗り越えてきたのだから。
もちろん、この経験が全て良かったわけではありませんが、
誰かにうるさく言われることなく、自分の人生を歩んでこれたことは、
ある意味では「自由」だったのかもしれません。
一長一短ですね。
逆の視点に立ってみると、自分がもし24歳で甥っ子の立場だったら。
今の自分とは異なる価値観を持つ、上の世代の人(母や祖父母)から、
24歳にもなって、人生や就職について、ワーワーと口うるさくあれこれ心配されるのは、ちょっと面倒だったかもしれません。
それが、どんなに鬱陶しいことなのかは、今となってはよく理解できます。
でも、姑と姑の娘の会話を聞くたびに、私の中の古傷が、少し「チクリ」と痛むのです。
だから、今日も、そっと耳栓をして、その痛みから自分を守っています。
耳栓はLoopQuiet。
はい、便利(笑)
みなさんにとっての「家族の普通」って何ですか?
家族というものは、本当に奥が深いですね。
栗林あや(いがぐりこ)でした。
何度も繰り返して抜け出せない悩みに