栗林あや(いがぐりこ)です。
夏休み、近所のお宅の小学生の兄弟が、
毎日庭でプール遊びを楽しんでいる声が聞こえてきます。
お父さんやお母さんも一緒になってはしゃいでいる、楽しそうな声です。
その声を聞くたびに、わたしは心の中で
「すごいなぁ。」「私には出来ないなあ。」
と思ってしまいます。
私の子供たちはもう中学生で、プール遊びは過去の思い出。
子供たちが幼稚園の頃には、かろうじて庭にビニールプールを出していましたが、
水を溜めたり洗ったりするのが面倒で、
小学生になった頃にはそうした遊びはしていません。
※10年前の写真です
子供と遊ぶのが苦手なのです。
とくに外遊びが苦手で、休みの日はなるべく横になっていたいし、できることなら、一日中何もせず寝ていたいのです。
もし、誰にも会わなくてよくて、一生お金に困らない生活が保証されているとしたら、
おそらく一切家から出ずに、風呂にも入らず、ゴロゴロして過ごすと思います。
そんな自分だから、毎日の生活を前向きに意欲を持って楽しめる人たちを見ると尊敬します。
その一方で、
「私にはあんなふうにできないや・・・。」
「なんで私は生きるのが下手っぴなんだろう・・・。」
と劣等感を感じることがあるのです。
私の周りには、姑や旦那のように、
庭の植木を刈ったり、家庭菜園を楽しんだり、ひな祭りにちらし寿司を作ったり、お彼岸にぼたもちを作る人たちがたくさんいます。
でも、私にとっては、そうした一つ一つの
季節の生活や自然を楽しむことのハードルが高くて、
「嫁に来たから仕方なくしぶしぶこなしている」という感じです。
以前は、そんなふうに毎日の生活を前向きに楽しめない自分を、ずいぶん責めていました。
子供が生まれてからは、
毎日の生活を意欲的に楽しめない自分や、子育てにしんどさを感じてしまうに対して罪悪感を持っていたし、
「私には愛情が無いのではないか」と悩んだ時期もありました。
でも、40代になって気づいたことがあります。
それは、毎日の生活を楽しむ方法は人それぞれで、
自分に合わない方法で無理に楽しもうとすることが、かえってしんどい思いをする原因になることがあるということです。
自分とは違う人、ここで言うところの「毎日の生活を意欲的に楽しめる人」になろうとして、でもなれなくて・・・
そんな自分を責めたりする必要はないということです。
最終的に大切なのは、自分に合った楽しみ方を見つけることです。
他人と同じように楽しもうとする必要はありません。
自分に合った方法で、心地よく毎日を過ごすことができれば、それが一番です。
例えば私だったら、寝るのが大好きだから、寝具にこだわったり、より良い睡眠が取れる方法を模索したりするのは楽しいです。
楽しみ方は人それぞれだから、それでいいのです。
みんながみんな、庭でプール遊びや、芝刈りや、ぼたもち作りが得意じゃ無いのは当たり前なのです。
周りの人が、意欲的に毎日を送っているのを見て、劣等感を持つことは今でもありますが、
そんな自分をゆるしたら、昔ほど罪悪感をもたなくなりました。
他人と比べず、自分らしい毎日を楽しむことが、自分にとっての最良の生活の形なのです。
自分を受け入れ、ある意味「あの人のようになろうとする」のを諦めることも大切なのかもしれませんね。
栗林あや(いがぐりこ)でした!
====おまけ=====
留守番してた次女(中1)が、ちいかわのアイシングクッキーを作った!
かわいいい
すごいなぁ。
わたしはこういうの、めんどくさいからできないや・・・。
主婦と生活社の
「ちいかわもぐもぐクッキングBOOK 抜き型つき (生活シリーズ) 」の付録の型抜きを使ったよ。
食べるのが勿体無いけど、食べました。(笑)
美味しかったです。
何度も繰り返して抜け出せない悩みに