いがぐりこです。

 

世間的に「良い」と思われていることを、

無自覚に盲信していることがある。

 

 

心屋を知って、その辺の観察眼は多少鋭くなったつもりでいたが、

 

なんとなく生き苦しい時に

自分が採用している価値観よくよく振り返ると、

 

「世間的に良いことだと言われているから、自分もそうしなくちゃ」と思い込んで

 

「ああ、私は無自覚に世間の価値観を自分に当てはめようとして苦しくなっていたんだ」と気づくことがある。

 

 

 

例えば、

 

・早く自立するべき

・自分の足で立てないとダメ

 

・人に頼ってはいけない

・一人でなんでもこなせる人の方が素晴らしい

 

・選択肢は複数確保すべきで、少ないのは自由じゃないからダメ

・一人で生きていける人が素晴らしい

 

・群れるのはダサい、頼るのはダサい

・多くの人に気に入られることが良いこと

 

 

・・・まあ、いろいろあるが、

私が今日気づいたのは↑これらかなあ。

 

 

こういうのは、「あたりまえのこと」として、

私たちの人生にこびりついている。

 

その考えを自分が信じていることさえも、気づかない。

 

だから、「当たり前のことができない自分はダメだ」「今のままじゃダメだ」と

自分の現状にダメ出しをしてしまう。

 

 

そんな時、

もし誰かからたとえば「早く自立するべきよ!」なんて言われると、

至極真っ当な正論だから

「そうだよね〜」と当然のように同意して受け入れてしまう。

 

それがフツーだと思っていると、疑いもしない。

 

 

人はそもそも、自分にダメ出しをしたい。

 

だから、うっかりすると、すぐ自分にダメ出しをしてしまう。

それが人間に備わった成長するための機能だから、仕方ない。

 

自分にダメ出しをするのは、向上心とも言える。

人は成長するために「このままの自分ではダメだ」と思うようにできている。

 

 

だから、今日も

「今のまま〇〇していてはいけない」と自分にダメ出しをしてしまうし、

そんな外野の正論にも同意してしまう。

 

 

そのダメ出しが、建設的な向上心につながっている時はいいけども、

あまりにもそこに長く留まりすぎると

だんだん人生が息苦しくなって、

気づいた時には、ものすごく消耗している。

 

 

それは、「世間的に良いと思われていること」に惑わされてすぎているから。

 

 

その「世間的に良いと思われていること」は、

本来、普通の人体能力では達成できないような

理想論とか絵に描いた餅であることも多くある。

 

絵に描いた餅を食おうとするので、苦しい。

余計に体力を消耗してますますお腹が空く。

 

 

 

では、「世間的に良いと思われていること」に惑わされないために

どうしたらいいか。

 

 

まず、息苦しい自分に気づいたら、

「世間的に良いと思われていること」を

疑いもせず盲信して達成しようと無理をしていないか、考えてみるといい。

 

 

そして、落ち着いた場所で

「世間的に良いと思われていること」を自分に課すことで得られるメリットとデメリット、

さらに「世間的に良いと思われていること」をもし守らなかったら起きるデメリットとメリットを精査するといい。

 

 

実は「世間的に良いと思われていること」を自分に課すことにより発生してるデメリットや生きづらさの方が、多くなってやいないか。

 

 

まだ起きていない妄想のデメリットを回避するために

「世間的に良いと思われていること」を遂行しようとして、

ますます今リアルで起きているデメリットを受け取ってやいないか。

 

精査してみるといい。

 

 

あと「世間的に良いと思われていること」を遂行しようとしている人や

あなたに至極真っ当な正論を伝えてきた人が

現に今、幸せそうかどうかを見てみるといい。

 

現に今、あなたの思う幸せの実績を残しているかどうか、観察してみるといい。

(だいたい残していない)

 

 

やはり大事なことは、自分の選択を信じることだと思う。

 

 

 

真夜中を過ぎてきたので、荒削りのまま備忘録で投稿。

おやすみなさい。

 

 

 

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