いろんな流れと

ちょっとズレてるかもしれないけど、

書いて寝る。


 


好きなことやろう・やりたいことやろう

って言うけど、


好きなこと・やりたいことって

2種類あると思う。




ひとつは、

ホントにそれ自体がやりたいこと。

ホントにそれ自体が好きなこと。




そして、もうひとつは、



見たくないモノから目をそらすために、

「好きなこと・やりたいこと」であると

自分を信じ込ませている

「まやかしの好きなこと」。




要するに、

本当の問題から目をそらすための逃げ。

単なる刺激。中毒。依存症。






好きなことやる・やりたいことやる、で

豊かに生きてる人と、



好きなことやる・やりたいことやる、で

それまであった穏やかで堅実な生活を

破滅させてしまってる人と。




両者の違いは、

「好きなことやる」のスタートが

全く違う点にある気がした。






「好きなことやろう・やりたいことやろう」で


仕事やめる。離婚する。子ども捨てる。

男にハマる。女にハマる。

浮気する。不倫する。

買い物する。ギャンブルにハマる。

借金する。酒を飲む。暴力ふるう。

気分でドタキャンする。

人を裏切る。嘘をつく。

借金を踏み倒す。
 
ちゃらんぽらんに生きる。







それは、本当に好きなことか。

本当にやりたいことか。




それは


本当に、心から好きなことか。

本当に、心からやりたいことか。



 

それは、本当に、愛からのスタートか。




本当にやりたいことなら、

それでいい。





でも、もしかしたらそれは

他の問題から目をそらすための

単なる「逃げ」ではないのか。


ただの「恐れ」ではないのか。






他の問題から目をそらすための「逃げ」は

自分の存在をかろうじて保つための

つっかえ棒や痛み止めとして、

やむを得ずいっときは必要な時期があると思う。



それに支えられていなければ、

自分を失ってしまう瀕死の状態なのかもしれない。




でも、いつかは勇気を出して

その目を向けたくない本当の問題に

向き合わないといけない時が来る。






自分自身で、

本当はダメだとわかっているはずである。


自分でも苦しみながら

その行動をしていることを、

自分が一番よくわかっているはずである。





その状態で、どんだけ

「これが好きなことだから、好きなことをやってまーーーーす」

と言っても、

それはただの「逃げ」の言い訳にしか過ぎない。



「好きなことやろう・やりたいことやろう」を

ただ都合の良い言葉にして

本当の問題から目を背けているだけだ。





あるいは、もしかしたら、

その苦しさを心の奥底に封じ込めてきた人は、


自分でも、

それを苦しみながらやっていたことさえも、

分からなくなってしまっているかもしれない。




その場合でもやはり、

そのまやかしの「やりたいこと」は

いっときの痛み止め、つっかえ棒でしかない。






いろんな流れと

ちょっとズレてるかもしれないけど、


私としては

自分でも見たくない

ネガティブなモノに目を向けることが

本当の問題解決の鍵だと思っている。





もちろんそれを

自分自身が瀕死の時に無理してやる必要はいけど、


ゆとりのあるときに

少しでも目を向けようとしてみるといい。
 






まずは、

まやかしの好きなことに逃げてると、

自分で気づくこと。



いや、本当は気づいているのだから、

それを認めること。