「私に会うと幸せになるよ」論がある。

 

 

声高らかに

 

「私に会うと幸せになっちゃうよ。だから会いに来てね。」

 

と何度も言ってる人がいる。


 

 

度が外れた

 

「私に会うと幸せになるよ」論を見るたびに、

 

私は、なんだか違和感を感じる。
 
  

 

 

 

最初にぢんさんのエピソードを聞いた時


わたしは「素敵だな」ってものすごく衝撃を受けたのだ。

 

その時の、感動の印象が強い。

 

 

 

=============

 


僕もいつの頃からか

「僕と出会った人は幸せになる」と

心から信じられるようになりました。


たとえそれが

直接心屋のやり方でなくとも


たとえそれが

いま間違ったことをしていたとしても


たとえそれが

いま苦しみのどん底にいたとしても


大丈夫、と

信じられるようになったからです。

 


 

 

=============

 

 


私にとって、あの時の感覚が

 

今でも大切に残っているのだ。

 

 

 

「どんなに今、辛そうに見える人でも、

 

この人はきっと大丈夫。

 

だって、一歩踏み出して

 

自分に会いに来ることができたんだから。

 

だから、きっと大丈夫。」

 

 

 

 

『クライアントを「かわいそうな人」にしない。』

 

 



 

ぢんさんのこの考えに、

 

私は衝撃を受けて、胸がときめいた。

 

 

 



『クライアントを「かわいそうな人」にしない。』

 

 

私にとって、

 

この心屋の考え方は、
 

カウンセラーとして活動する上で
 

今でも、とても大切なものになっている。
 


 
 

 

だから、なんというか

 

気になるのは、

 

 

「私に会うと幸せになっちゃうよ〜だから会いに来てね」を

 


客寄せ目的?なのか本心なのか?

 

よくわからないけど、


あまりにも多用している人が気になる。

 

 

 

 

ダメと言ってるのではない。


なんか気になる。

 

なんか違和感。
 
 

 


うまく表現できないけど、

 

砂上の楼閣の自尊心 に見える。
 
 

 


たぶん

 

ほんとに満たされていて、


ほんとに自信があって、


不安のない状態なら、


「あなたとわたしは同じ」ってなると思うの。

 

 

格差が無い方向にいくはずなのだ。

 

 

 

 

だからこそ、

 

いま、辛そうな人がやって来ても


「私はあなたと同じ。

 

わたしも大丈夫だったから、あなたもきっと大丈夫。」

 

って思える。
 
 

 

 


なのに、なんというか、

 

砂上の楼閣の「私に会うと幸せになれる」は

 

『格差』を強調してる。

 

 

 

 

自分を神化させているみたい。

 

だからなんか変。違和感。

 

 

 

 

見せかけの自尊心を保つのに必死。


そんな香りがする。

 

 

 

 

 

表現力が乏しくて、

 

うまくこの感覚を文章にできないので


もうちょっと自分の中で整理したいが、


なんか、違和感。

 

 

 

 

批判しているのでは無い。


何かがひっかかる。

 

 

 

 

 

まりあさんが教えてくれたように

 

ご利益の押し付けだから、

 

なんだか違和感なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

しんちゃんの心理学的視点も、

 

すごく納得。

 

 

 

 

 

 

なるほど。

 

 

 

 

「私に会うと幸せになっちゃうよ。だから会いに来てね。」

 

この言葉を聞いた時、

 

きっと、この違和感を無意識に感じ取って

 

メタモデルで防御しようとしちゃうのかな。

 

 

「どうしてそう言えるの?なんでそう思うの?」と。

 

 

 

 

 

たぶん。

 

一般人が、自分を過度な神化?させてるのが気になるのだ。

 

 

 

 

他と自分を差別化させることで、

 

神化させてることに、

 

胡散臭さを感じているんだと思う。

 

 

 

 

誰かを批判しているのでは無い。


これは「私の中で何かがひっかかている。」

 

という記事。

 

 

 

 

あーーー!!!!(∩゚д゚)アーアー


「わたしのことですか?」という

 

面倒な奴現れるなよっ!!(;´∀`)

 

 

君、個人のことではない。

 

たぶん。(笑)