愛には限りがあるから全部私にちょうだい問題 と

私への愛が減っていっちゃう問題 についての私なりの結論。

 

自分の忘備録として書いておく。

 

 

 

 

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ぐり:「りんごちゃん。。。

 

りんごちゃんは最初、

ぐりちゃんのことを大好きだと言ってたのに、

最近、他の人に浮気してるでしょー。(~。~;)?

 

最初の愛を100%だとしたら、

 

ぐりちゃんへの愛は

80%に減っちゃったってことでしょー?

もう飽きたんでしょう?

 

残りの20%は

○○さんに行っちゃったってことよねー?(*_*)」

 

 

※りんごちゃんのケースはあくまで「たとえ話」としての例です。

 

 

 

たとえば男女問わず、

「ぐりちゃん大好きー♡」

と言ってくれている人がいるとして、

 


現在「ぐりちゃん好き好き度」が、

その人にとって、

全体の愛の総量の70%だとする。


そうすると、つまりは、

残りの30%は、他の誰かへの愛。

 

 

 

今は愛の配分が

ぐりちゃん70%誰か30%】だけども、


そのうちちょっとずつ飽きてきて

ぐりちゃん50%誰か50%】になり、


次第に

ぐりちゃん30%誰か70%】になる。


そして

ぐりちゃん5%誰か95%】になって、

 


最終的に、

いつかすっかり、わたしのことなんて

忘れられちゃうと思っている。

 

 

或る日突然、嫌われるのではなくて、

 

グラデーションで、

徐々に0%へ向かっていく恐怖。

 

じわりじわりと忘れ去られてゆく恐怖。

 

 

この恐怖が、

物心着いた頃から、消えない。

 

 

ふとした瞬間に

足元から恐怖がじわりじわりと襲ってくる。

 

それが怖くて、

 

その関係を破壊したり、

そのコミュニティから逃げ出したりもした。

 

 

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あのあともたくさん考えて、

 

自分なりの答え。

 

 

 

脳内お花畑でもいい。

 

安心して脳内お花畑でいよう。

 

 

 

愛に満たされていい。

 

幸せに満たされてもいい。

 

 

 

愛情をめいっぱい感じて

 

それを認めたとしても、

 

私が思ってる、怖いことは起こらない。

 

 

 

 

わたしは、或る日突然

 

「私は飽きて、捨てられたんだ。」という事実を、

 

真正面から受け止めなければならない日が

 

やって来るのが怖かった。

 

 

 

だから、

 

グラデーションで、徐々に0%へ向かっていく恐怖を

 

「わざと」感じようとしていた。

 

 

 

「捨てられた」という0%の現実に

 

いきなり直面したら、

 

ショックで心が折れてしまうから。

 

 

 

だから、徐々にグラデーションで、

 

じわりじわりと

 

少しずつ忘れられていく現実を作り出す。

 

 

そして、

 

その成果のチェックには、余念が無い。

 

 

 

じわりじわりと忘れ去られてゆく恐怖を感じながら

 

 

「ほらやっぱり!

 

あなたもじわりじわりと、私から離れていくんでしょう?」

 

 

って、相手を見張る。

 

 

 

それが、りんごちゃんへのエピーソードの例。

(あくまでたとえ話です)

 

 

 

それって、

 

当初の目的は

インフルエンザになりたくなくて

予防接種を打ってたんだけど、

 

インフルエンザにかかる恐怖が消し去れなくて

怖くなって、何度も何度も

必要以上に注射を打ってたら、

 

注射痕が化膿して

その痛みで苦しんでいるようなもの。

 

 

もう、いいよね。

 

なってから考えたらいい。

 

し、そんんだけやったら、もう、ならないよ。

 

 

 

相手を見張って

 

わたしが忘れらてゆく証拠集めをして、

 

自ら「グハッ!」て痛みを感じるものに飛び込んじゃうのは、

 

 

徐々に免疫をつけて

 

ショックを回避しようとした、

 

わたしの心の防衛反応。

 

 

 

「見張る」というのは、

 

ちいさなころの私が見つけた、

 

ショックを和らげるための、唯一の方法。

 

 

 

だから、

 

今後「グハッ!」て痛みに自ら飛び込んで、

 

誰かを見張っちゃうことがあっても、

 

 

それはちっちゃな頃の自分に

 

「守ってくれてありがとう」って感謝する案件。

 

 

 

 

 

そして、

 

問題を問題と思ってるうちは

 

問題としてありつづけるので、

 

 


当面、心が慣れるまで


問題だと認識してしまう可能性のある情報は、


今は、私の生活から排除する。

 

 

 

安心して脳内お花畑でいよう。

 

すぐにはそんな自分に慣れないかもしれないけど、

 

安心して愛情をいっぱい感じてみよう。

 

 

そんなことを思ったのでした。

 

 

久しぶりに、自分のためだけに、書いてみた。

 

たまにはこんなのもいいなぁ。