お父さんの、

「男」の顔を、見たくなかった。


お母さんの、

「女」の顔を、見たくなかった。



私の知らない、

親の顔を知るのが、怖かった。




私が知らない、

親の顔を見たとき、


見てはいけないものを見てしまったようで、


うすうす気づいてはいたけど、

いや、本当は

はっきりとわかっていたけど、


子供心に

知らないふりをしてしまった。




子供の私には

立ち入ってはいけない世界があるのだと、

どうにか理解して

受け入れようとしたのかもしれない。




「わたしは、なにも、しらない。」

「わたしは、なにも、わからない。」

「いたくも、かゆくも、ない。」




表面上は必死に冷静に装っていたけど、


意識の奥では、


見捨てられと飲み込まれの恐怖に、

襲われていた。




「わたしの しらない せかいに いかないで。」

「わたしを おいて いかないで。」





私は、

わたしはこの先どうなっちゃうの?という恐怖に

しらんぷりを決めることで、

子供らしい子供であろうとした。



受け入れられない恐怖を、

自分の意識の奥深くに、閉じ込めた。




わたしは、

親を愛しながらも、嫌悪した。



「お父さんの、男の顔は見ない。」

「お母さんの、女の顔は見ない。」




「わたしの しらない せかいに いかないで。」

「わたしを おいて いかないで。」




****



思春期を過ぎると、

そんなのを

付き合う相手に求めた。



「わたしの しらない せかいに いかないで。」

「わたしを おいて いかないで。」




ずっとずっと相手に投影して

時に自分の「女」を武器にして、


なんとかして引き止めようとしながらも、


引き止められないような相手を

見事に選んで、


彷徨っていたこともあった。




あんなに

愛しながらも嫌悪していた

「親」は、

まぎれもなくワタシ自身だった。



*******



先日、

奇跡的なきっかけで、


あのとき、押し込めた恐怖の箱を、

ひさしぶりに開けてみた。



しばらく恐怖に襲われて、

不安に襲われて、


あのとき

おとうさんに、おかあさんに言いたかった

わたしのほんとうの気持ちを。


無いものにしようとしてきた恐怖を。

胸のこわばりと、深い悲しみを。


ぶつけようのない怒りを。

締め付けられた喉の感覚を。



つい、にゅるんと

逃げようとしてしまう自分を捕まえて、



あのとき感じたのと

おなじ感覚に

のみこまれてゆく。



*******



数時間そのままで。


ひとしきり、感じつくしたら、

なんだかスッキリしていた。


似たようなシチュエーションになっても、

もう、あの時ほどの恐怖が

湧きあがらなくなった。



めが、さめた。



いままで、

あの時の恐怖が

ふとしたきっかけで

湧きあがることがあった。



これからは、どうなるだろう????



この先どうなるかはわからないけど、


ひとまず私は、

いままでのあの、恐怖の感覚が

「確かに私の中に存在していたんだ」と、

認めることができたように思う。



わたしがわたしの人生の舵取りを

またひとつできるようになった。



いままでは

あの時の恐怖におびえていたから。



ほんとうに、こわかったんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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