今日は、三女のさっちゃんの
4才のお誕生日だった。


お昼に家でお誕生パーティーをして、

午後3時すぎから、
浜名湖パルパル(地元の遊園地)へ行った。


夏限定で、夜、花火が打ち上がるので

それを目当てに。

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アトラクションを楽しんで、

夕ご飯を食べて、

さあ、いよいよ花火だね〜って。

開始までまだちょっと時間あるから、

お土産でも買おうか、って。



そんな時、

私の携帯に、連絡が来た。


一人暮らしの実家の母が

路上で倒れてるとこを発見されて、

病院に運んでるって。

救急隊の人から連絡だった。




どうしようどうしよう。


ぐずる子供たちの手を引いて、

早々に切り上げて、

遊園地を後にした。



遠くに、

本当は近くで見るはずだった、花火が見えた。


建物に遮られて、

欠けた鮮やかな光が

チラリと見えただけだった。




どうしようどうしよう。

どうしようどうしようどうしよう。


そう思う一方で、

冷静沈着な自分がいた。



さっちゃんの誕生日には、

いつも母が問題を起こす。



facebookに「過去のこの日」という機能があって、

ちょうど2年前に投稿した記事が
表示されていた。

さっちゃんのお誕生日なのに。 


ああ。そんなこともあったな〜って

思い出したところだったのだ。




どうしようどうしようどうしようどうしよう。

母は死んでるかもしんない。


いや、死んでるのなら、まだいい。


「神様、どうか母を助けてください」

そんなことを祈るより、まず先に、


中途半端に寝たきりになるなら死んでくれ、と

冷静に思っていた自分が、

とてもおそろしかった。




病院に着くと、

いきなり先生からCT画像の説明があった。


母は生きていた。


詳しい状況は分からないが、

頭を打って出血していて、入院になった。

脳挫傷と、外傷性のくも膜下出血だそうだ。



次女と三女が

私の母に会うのは、初めてだった。


「ママのママ」という存在を
生まれて初めて知って、

それを知らされた日に

突然会うことになった「ママのママ」が、

頭から血を流していたから、

それはさぞかし驚いたことだろう。


もしかしたら、

次女と三女の
トラウマになったかもしれない。

あとになって思った。


こんな形で、

まさか、音信不通の母に会うなんて。


意識はあるし、
かろうじて話もできるが、


頭を打っているので、
ろれつが回ってなくて内容はトンチンカン。


私のことは、わかっているのか、
わかっていないのか。

あやしかった。


「お母さん、わたしが誰だかわかる?」

と聞いたけど、

「き…れいな…お…くさまですね。」って。


『あや』という名前は出てこなかった。

名前で呼んで欲しかったな。


先生の説明によると、

明日以降は脳内に浮腫が出るので、

一時的に意識がなくなったり、

今は喋れても、
状態が悪化することが多いらしい。



わたしは、

今のうちに見せておかないと後悔する気がして、


「これがお母さんの孫だよ」って

子供たちを紹介したが、

「あらぁ…」と言っただけで、

母はよくわかっていないようだった。



誰かに何かをしてもらいたいわけでもなくて、

どうしてほしいわけでもなくて

でも、ふあんでふあんでたまらなくて、


わたしは、一人っ子で、

母は、私以外に身寄りがないので、

それがこわくて、


母の状態の心配よりも

役所や病院の手続きとか、

退院後どうしようとか、

一人で生活できないだろうとか、

世話はどうしようとか、

先の事務的なことを心配している自分も、


それを冷静に見つめているもう一人の自分も、

そして母の状態を純粋に心配をしている
ほんのちょっとの自分も、

子供を必死に紹介したい自分も、

花火見れなくてがっかりした自分も、


お母さんの交通事故
でゾンビを見た小学生の自分も、

こんなのを見せたら子供がトラウマになるんじゃないかと心配した母親の自分も、

入院の日用品を揃えなくちゃと思った自分も、

明日は東海地方に台風が上陸するな、と思った自分も、

さっちゃんのお誕生日を祝いたかった自分も、

お母さんをどうか助けてくださいと思った自分も、



すごいスピードで

いろんな自分が
頭の中で湧き上がって

流れていった。




今日のところは、

もう他にできることはない。


だから、先のことを考えてしまうと不安で。



ここに投稿しているのは、
何かいつもと同じことをしていないと、
今は落ち着かないので、
せっせと投稿しています。