いがぐりこです。


さっきの記事、

■嫉妬について、ぐりちゃんが思うこと。【その1】

の続き。



・何かを奪われる&失うという、恐怖系の嫉妬

も、

・あいつばっかりズルい!という、ストレス系の嫉妬

も。



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これさー。


どっちも、
ほんとは「ある」んだよね。

自分にも「ある」んだよね。



そんでもって、


ほんとのほんとの心の奥底では、

「ある」ことを自覚してるんだよね。



だって、

奪われる&失う恐怖系の嫉妬は、


そもそも、

「ある」を自覚してるからこそ、

失うんじゃないか?って怖くなる。



愛情も、豊かさも。
すでにある。


あるからこそ、
奪われたり失う恐怖で、嫉妬する。



だから、
そんな時は。




「あー。今はあるなー。」

って、


少しだけ歩みを止めて、


今この時に「ある」のを

じっくり感じてみたら
いいんじゃないだろうか。



恐怖に襲われて、

この不安を何とかしようと
必死に動いている時は、


ある意味、

起爆剤のように
人生の原動力になるのかもしれないけれど、


それは結局、

『「ない」が無い証拠』を

集める旅なのだと思う。



それには、

とっても、とっても、エネルギーがいる。




『「ない」が無い証拠』を

集める旅をしている時は、


つい、


奪われそうだったり
失いそうなことの方ばかりに

目を向けてしまう。



目の前には、

もっともっと
たくさんの「ある」があって、

いくつもの選択肢があるのに、


極めて限られた状況ばかりを
妄想してしまう。


それを回避しようと、

ますます
全力で動こうとしたり、抵抗してしまう。




こんな時には、

一部のものにしか注意が行かず、

視野があまりにも狭くなっている。




だから。


そんなときこそ。

一旦、その足を止めよう。





『「ない」が無い証拠』を集める旅の、

足を止めよう。




そしたら、

全力で動いていた時には、

見えなかったものが見える。



たくさんの状況や、

たくさんの価値観や、

たくさんの感じ方や、

たくさんの選択肢があったことに気づく。




言葉にすると、

必死な時ほど、

なんだか頼りないセリフのように感じるけど、



「あー。今はあるなー。」


って、一旦足を止めてみよう。




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そして、

アイツばっかりずるい!系の嫉妬。




これも、


「私だってホントはそうできるのに!」

「私だってホントはスゴいのに!」

「私だって負けてないのに!」

「素晴らしい私をもっと敬え!」

「わたしをもっと大事にしろ!感謝しろ!」

って、


ほんとのほんとは、

「素晴らしいわたし」を

心の奥の奥で自覚してるんだよね。




たから、
そんな時。




ぐりちゃんが思うにね。


ぐりちゃんが思うに、よ。




「負け」を認めよう。




降参。

白旗あげる。

ずどどどどーーーんんと落ちる。




アイツにはかなわねぇーなあああああ!!

悔しいけど、
アイツにはかなわねぇーなあああああ!!

ちきしょーーーー!!

私はだめだあああああああ!!!




って。


自分を、とことん責めたらいいと思う。




ずっと、見ないことにしてきた、

自分の弱さとか、頼りない部分を

隠そうとして、


いやいやそんなわけないって、

責め切らないまま
浮上しようとするから、

ずっと苦しい。



ちゃんと、認めよう。

「負け」を認めよう。



くやしいけど、

「負け」を認めよう。





そしたら、

「勝ち」「負け」で考えていたのとは、


全く違う次元にある、

「ある」に気づく。



自分がこだわっていた

「勝ち」「負け」。



実はそんな場所に

真実は無かったことに気づく。

 

 

 

 

 



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長くなってしまった。



最後に、

大事なことがあって。



『もうね、見るのやめよう。』



つづく。