モタモタしていて、筆(?キーボード??)が進まなかった。


認めたくないし、恥ずかしいし、
自分にとって都合が悪いので無かったことにしようとしていたけど、
吐き出さないと、進めない気がするので、
書く。


実はわたし、
本当は、小さい頃、過保護で育った。


幼稚園の支度、
寝ている間に母が着替えさせてくれた。

わたしはご飯を食べて、行くだけ。


小学生のときは、母が翌日の支度をすべてやってくれた。
時間割も。


夏休みの宿題や、自由研究は、
母が全部やった。


私が自分でやって、
何か見映えの悪い結果だと、
ネチネチ責め立てられるので、
必然的に自分でやることを、やめた。


作文も母が考えた。
私は清書するだけ。


自由研究や、作文、書道、工作。
いくつも、賞をもらった。
全校集会では、しょっちゅう前に呼ばれ、
拍手を受けた。


そりゃそうだ。
大人がやったんだもん。
見栄えがいいに決まってる。


トロフィーに賞状。
たくさんあった。


私がやったんじゃないのに、
私が誉められて、
賞をもらう。

なんだか、わたしじゃないみたい。
最初はそう思ったけど、
いつの間にか、それが当たり前になっていった。

私がやったんだと、思い込むようになった。


母は、もらった賞状をみて、
すごく満足げだった。
「ぐりこちゃんは、お母さんの自慢の娘よ」
「お母さんの命に代えてでも、ぐりこちゃんを守る」
母の口癖。


わたしがやらないほうがいい。
そう決めたことも、いつの間にか忘れた。


なぜか勉強は、やらなくてもけっこうできた。
でも、そんなの中学ぐらいまで。
当たり前か。

そんな甘さのまま、
進学校に入ってしまったので、
その後、落ちこぼれて苦しくなった。


ぐりこちゃんは、お母さんがレールを敷いてあげる。


そんなこと言われた。


母は、つらい生い立ちだったそうで、
こんな思いを、ぐりこにはさせない。
という決心があったようだ。


けど、


私が小学校高学年頃から、
父が家に戻らなくなって、
母のノイローゼが急速に悪化して、
家事もままならなくなった時、


突然その過干渉が、ぷつり、と、途絶えた。


ある時を境に、
子供である、わたしのことは、どうでもよくなったようだ。
(ここらは妄想かもしれない?)




食べるものは無く、何もかも、そのまま。


汚れた食器も、皿も、洗濯も、ゴミも。
全部そのまま。

どうやって生きていただろうか。

よく覚えていない。


そのうち、
母は男の人ができて、たまにしか家に戻らなくなった。


子どもだった私は、数年の間に、
過干渉と、育児放棄の、両方を経験した。



のに、



ブログには、
放棄の方 しか、書けなかった。



なんでだろう。



たぶん、過干渉のほうは、
わたしに非がある。

これを認めたら、都合が悪い。




放棄のほうは、母に大部分の責任がある。
‥‥と、おもう。
最近になって、そう認識できるようになった。


んでも、まだ、複雑。
母は悪くない。私が悪かったんだ。
と、どこかで思っている。


でも、放棄の方だけ書くってことは、
母が悪い!と言いたいんだろうか??


ちょっと、まとまらなくなってきた。


「母のようになってもいい」

今自分が子育てをしていて、不安と焦りがあるのは、


可愛がろうとしても、過干渉になるのが怖く、

のびのびさせようとしても、育児放棄がこわい。


「母のようになってもいい」

これは、言える。


嫌だけど、言える。


でも、なんか、違和感がある。



過干渉の母。

育児放棄してる母。


私の中で、母のイメージが安定しない。


どちらも母で、きっとどちらも母じゃ無いんだろうけど。




いよいよまとまらなくなったので


ここで終了。





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