私が小学3年のとき、

母は、原付バイクで
持ち帰り寿司屋のアルバイトに行っていた。



ある土曜日。

午前中、学校から家に帰ると、
しばらくして電話が鳴った。


母からだった。


「ぐりこちゃん、お母さん、
バイクで交通事故を起こしちゃった。

○○病院にいる。
今から△△さんって女の人が迎えに行くから、

団地の外で待っていて。」


ビックリしたけど、妙に冷静に、
「うん、わかった」と言って、
私は電話を切った。


電話を切ったあと、手が震えた。


本当にお母さんかな?と、思った。

だって、もう電話、切れてしまった。
思い出しても、
母の声だったかどうか、わからない。

騙されたらどうしよう…。

小さな私は、
何かの間違いだと、思いたかったのかもしれない。


でも、本当なら、
確かめないといけない。

お母さんがどうなっちゃったのか。

電話をしてきたんだから、生きている。


当時、私は鍵っ子だったので、
持っていたカギでドアを締めて、
団地の外に出た。

「小学3年生になったから、
カギをあげる。」
そう言われて、母からもらった鍵だった。


しばらくして、
赤い車が来た。

知らないおばさんが降りてきて、
「あなたが、ぐりこちゃん?」と聞いた。

加害者だった。


私は、目の前のおばさんを信じるしかなかったので、
うなづいて、車に乗った。


車でおばさんは、
「ごめんね、ごめんね、
おばさん、お母さんを引いちゃった」

と、言った。

とても、不安で怖かった。

声が出せず、私は黙っていた。



病院に着くと、
頭と顔に包帯を巻いて、

応急処置をした母が居た。

破れた服に、血がベッタリついていた。


包帯の隙間から、目が見えた。

…怖かった。
ゾンビかと、思った。


「ぐりこちゃん……こんなんに…なっちゃったよぅ…」

ゾンビが、しわがれた声で私に話しかけた。


母の声だった。
ああ、お母さんか。

良かった…。


…ん?良かった…??

お母さんで良かった。
でも、ゾンビがお母さんだなんて。


お母さんじゃ無い方が、良かった。


今思えば、
母本人が私に電話して、
加害者が事故車で私を迎えに来るくらいだから、

そんなに大した事故では無かったのかもしれない。


当時は、気味悪さと、不安と、恐怖で、
吐きそうだった。



母は、頭と顔を打ったらしかった。


包帯ぐるぐるのゾンビは、
病院の人に、
「警察に連絡まだでしょう??
早く連絡しないと。
あと、まだ先生来るから、
いいと言われるまで動かないで!!」と、急かされて、
どこかに消えて行った。


ドキドキして、待合室のイスに座っていると、

しばらくして、ヌッ…と、
目の前にゾンビが現れた。


「……ぐりこ…ちゃん…。
おなか…すいて…いるでしょう…?」


病院の人が、
慌ててゾンビを捕獲する。

ゾンビはまた病院の人に連れられて、
どこかに消えて行った。


受付の人が

「お母さんから、これ。
お昼ご飯だって。」

差し出されたのは、
母のバイト先の、持ち帰り寿司だった。


土曜日で学校が半日で終わる私のために、
持って帰って来たのだろう。

その帰宅途中、母は事故にあった。


見慣れた、持ち帰り寿司屋の
ビニールの風呂敷に、
血が飛び散っていた。


気持ち悪かった。


今なら「私いらない」って言える。

けど、言えなかった。


恐る恐る、血の付いたビニール風呂敷を開けると、

いつもの寿司だった。
けど、いつもより、中身がずいぶん偏っていた。


…良かった。
中身には、血が付いていない。


私は素手で、寿司を口に押し込んだ。

喉も乾いていたけど、
無理して口に入れた。

ガツガツ食べた。

ああ、わたし、お腹がすいていたんだ。


受付の人が、それに気づいて、
私にお茶をくれた。

…ガラスのコップに、花の模様。


…これって、検尿のコップじゃないだろうか??

疑った私は、
お茶に一切、手を付けなかった。


そんなわけ、ないのにね。
何で疑っていたのだろう??
母を捕獲した病院の人を
信じられなかったのかな。



そのあと、一通りの手続きが終わり、
夕方になって、
私は母が呼んだタクシーで、
家に帰った。

その後、どう生活したか覚えていない。

母は、病院に入院しただろうか??

私はタクシーに乗ったけど、
そのあと、どうしたんだろうか??


全く、覚えていない。


母が、何日かして、
家に戻り、
「血が…髪の毛について、絡まっちゃったよう…」


と、言ったので、
ますます、母を見るのが気味悪くなった。




だからか。
私、今も、血が気味悪い。

寿司もあんまり、好きじゃない。

母に対して、妖怪かわいそう が住み着いたのは、
この頃からかもしれない。



こんなこと、すっかり忘れていた。


今日、実家の市のお祭りの様子が
テレビのニュースで放送されて、
突然思い出した。


祭りの会場が、事故現場に近かったから。


あのとき、とっても、怖かった。
とっても、不安だった。

何も分からない、不安。
怖かった。

怪我した母を見るの、怖かった。

病院のひと、怖かった。

加害者のおばさん、怖かった。

車の中で、おばさんになぜ、
お母さんはだいじょうぶなの??
と聞けなかったのか。
ずっと後悔していた。

もっとおばさんを責めれば良かった。
なんでお母さんを轢いたの??
ずっと後悔していた。


花柄のコップに入ったお茶、怖かった。

血の付いた風呂敷の寿司、怖かった。


ああ、怖くて、不安だった。



もう、大丈夫。
大人の私が、思い出したから。


大人のわたしがいたら、
怖かったちっちゃなわたしのそばに居て
ずっと手を握ってあげたのにな。


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