【昔話・その19】「大学への数学」の思い出~明日はリレーマラソンin国立競技場~ | Ka_Naのブログ

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40歳から再び走り始めて10年目を迎えました。ワールド・マラソン・メジャー制覇(Six Star Finisher:東京・ボストン・NY・シカゴ・ベルリン・ロンドン)を目指しています。(現在★★★★(2017/2019/2021東京・2018ボストン・2022NY・2023シカゴ))

どんな世界・分野にも、マニアックにというか、エクストリームにというか…"突き詰める" 人たちがいると思います。

 

マラソンという趣味で、"サブスリー or サブエガ or サブ40…を目指す"のもそうかもしれません。

 

普通の感覚ではマラソンを走るだけでも大変なことで、さらに3時間を切るようなタイムを"突き詰める"のは中々理解されないかもしれません。

 

 

学生時代の数学の勉強では、公式を覚えて、練習問題を解いて練習して、応用問題も多少できるようにして、定期試験・実力試験に備える…といった流れが普通でしょう。

 

ところが、中には、数学をエクストリームに突き詰める人たちもいたりします。

 

さて、

今回の記事はリレマラつながりもあり「大学への数学」を取り上げます。

 

 

 

 

(1)「大学への数学」とは

⇒数学オタク向けの月刊誌。試験問題の講評も

(2)SNS無き昔は雑誌が承認欲求の場

⇒コンテストで名前を載せるのがステータス

(3)突き詰める世界での関わり

⇒「突き詰めることで得られる楽しみ」は今のマラソン趣味にも影響

 

 

 

(1)「大学への数学」とは

 

私が高校生だった1989-92年にも存在していましたし、調べてみると歴史は結構古く、1957年からあるのですね。

 

「大学への数学」は端的には、数学オタク高校生向けの月刊誌です(個人の印象です)

 

 

最新刊。キャッチフレーズが示す通り、微積分に心がときめく世界です。

出典:東京出版HP https://ts-webstore.net/

 

 

 

一般的な説明はWikipediaに譲るとして、私はこの雑誌を高校の同級生から教えてもらいました。

 

その彼(のちに京大理学部に進学)はやはり数学オタクで、数学で見たこともない偏差値を叩き出していました。

 

その彼にあやかろうと、私も数か月ほど「大学への数学」を購入して問題を解いたり、解説を読んだり(眺めたり)…など、数学オタクの世界に触れたのでした。

 

30年以上前なのでさすがに内容は覚えていませんが、解説が丁寧で詳しく、大学入試問題の論評も"プロの目線から"という雰囲気がありました。

 

センター試験を経て、二次試験で数学を受ける場合、4-6問の大問形式になります。

(「~を証明せよ」「~を図示せよ」といった数行の問題文が提示され、白紙の解答欄に「〇〇が◇◇であることから□□が導かれ、よって××となる」などズラズラと解答を論述するイメージ)

 

そうした大学入試問題の解答・解説は予備校で案外違いがあったり、わかりにくかったりするのですが、「大学への数学」は、説得力やスマートさがあり、何かアカデミズムを感じさせるものだった印象があります。

 

 

ちなみに、「大学への数学」も含めて数学はそこそこ頑張ったものの、いざ入試本番では実力不足+難問出題のため、大問全て解答できず・・・残念なことにゼロ点(おそらく)だったのでした。

(後で聞いたら、実力者も難しさのため茫然自失で、合格した面々も結構ゼロ完だったとのこと)

 

 

 

(2)SNS無き昔は雑誌が承認欲求の場

 

「大学への数学」の特色の一つとして「コンテスト」があります。

 

問題が提示されて、読者がふるって解答を送付し、編集部が採点する…という仕組みでした。

 

(イメージ)映画「グッドウィルハンティング」より。MITにて廊下に掲示された数学の問題を鮮やかに解くマット・デイモン

 

私が高校生だった当時は個人情報にさほど厳しくなかったので、優秀な解答者は「〇〇高校3年 □□(名前)」とランキングが出ていました。

 

いわばエクストリームな世界の中でも、さらに究めし者たちが凌ぎを削る構図だったかと。

 

中には、高校1年や中学生などが入っており、一層凄さが強調されていました。

 

振り返ってみると、当時はSNSなどがなく、こうした雑誌などが承認欲求の場になっていた気がします。

 

承認欲求というと何かネガティブなイメージがありますが、数学の道を究めし方々も「コンテストの場がいい機会になっていた」と語っているようで、そこには刺激を与えあって高める面もあったと思います。

 

 

雑誌ランナーズでもかつては大会上位者が掲載されていたり、高校生でもファッション雑誌に載るのはひとつのステータスでした。

 

 

 

(3)突き詰める世界での関わり

 

その後、数学の世界からは離れたものの、金融工学の会社にいた頃、数学科出身のマスター(修士)/ドクター(博士)といった面々と仕事をしていました。

 

彼らは「大学への数学」から、エクストリームな世界をさらに突き進んだわけですが、レベルが上がるほど厳しさも増すのはどの世界も同じようでした。

 

謙遜なのか、自嘲なのかわかりませんが「数学の世界で挫折したからここにいるのですよ」などと聞かされたものでした。

 

ちなみに、その後私もその会社で挫折して・・・残念なことにサラリーマン生活を大きく踏み外すのでした。

 

* * *

 

上のレベル~頂点を目指すには厳しさがあるものの、数学も、ランニング・マラソンも"突き詰める"ことで得られるものがあるのでしょうね。

 

・積み重ねてレベルがあがる楽しさ

・没頭・熱中することで味わう充実感

・大きな課題・目標に立ち向かう緊張感

・戦略・見立てがハマる時の爽快感

・・・

 

そう考えると、高校生の頃、「大学への数学」の世界に触れた流れが、ランニング・マラソンを楽しむ今の自分につながっているのかななどと思う私です。

 

明日は、マラソン・ランニングを結構な熱量で楽しんでいる皆様とリレーマラソンを楽しみます!

 

 

 

***(英語学習の一環で簡単な英作文をするようにしています。違和感などがあれば、ご指摘いただけると助かります)***

 

When we think about training or learning, most people tend to think about hard work and practice, practice, practice. But training for a marathon is actually a wonderful analogy for how trainers or fellow runners can help runners become stronger. 

As for math training, carefully planning out meaningful experiences will develop deep mathematical thinking skills and prepare them to be strong problem solvers.