こんにちは、マサです、
昨日は静岡にいました。
IFSメンバーがどうしても僕と一緒に写真を撮りたい、
牛角にも行きたいと言う事で、
仕方なく、人気者の僕は朝8時の電車に乗って出かけました。
さてさて、最近週一で更新しているブログですが、
大きく出ましたね、今回のテーマは日本語ラップです。
日本で始めてラップをしたのは、
僕の中では吉幾三か、いとうせいこうのどちらかという認識です。
「はぁ~ テレビもねぇ ラジオもねぇ 車もそれほど走ってねぇ」
ちゃんと韻踏んでます。
曲中では東京で成り上がって銀座に山を買うと宣言してます、
84年当時からかなり革命的なラップですね・・・。
94年に発表されたEAST END×YURI 「DA.YO.NE」
僕が初めて日本語ラップを聴いたのはこの曲でしたね。
当時誰もが知っている曲だったんじゃないでしょうか?
リズムに言葉をあわせる楽しさは初めて知った曲でしたが、
個人的にはあまり好きじゃなかったです。
なんかチャラチャラしてたし・・・。
そして月日は流れて、99年、
DJ KRUSH DJ SAK DJ HIDEによる、「流」というユニットが
BOSS THE MCというラッパーをフィーチャリングして
「Ill-Beatnik」と言う曲を出しました。
初めて日本語ラップってすげぇと思いましたね。
こんな言葉で埋め尽くされた曲があっただろうか。
加えてその2年後の、01年 DJ KRUSH 「漸」
今度はKRUSH本人のフィーチャリング、同じくBOSS THE MCで、
「Candle Chant」と言う曲を発表しました。
ラフラというラッパーに対しての追悼の曲と言うことですが、
多様な表現方法の多さにまたも驚かされました。
気持ちをしっかり持てと、
自分の死が近いことを解っている大病人に向かって投げかける言葉が、
いかに無力かを表現したフレーズがあります。
「痛いほど分かってたであろうことは後になって分かったが、
いいか全ては気持ちからだからな
そうくり返すしかない しがないオレのコトバは無力だ
経験不足な穴のあいた封筒だ」
こんな自分の無力さにたいする比喩の仕方があったのかと、
初めて聴いたときはショックを受けました。
それから11年後、2012年、BOSS THE MCは、
シチュエーションはだいぶ違いますが、
違う表現を曲中でしました。
前回のような、若干弱気なところから、
自分がどうしたら良いのかを発見して
堂々としているような気がします。
「たとえライブの前だとしても
たった今息を引き取ったと報せは来たよ
もうこれ以上苦しまなくてもいいんだろ
餞(はなむけ)に捧げるから寄ってきなよ
IT'S FAST LIFE 多くの死んでいった仲間達
皆いい奴で誰にも落ち度は無い
なぜ貴方だったのかやっぱり解らない
解っていることは前に進んでいくしかない
手を差し伸べることはできたって
絶望そのものをなかったことにはできない
でも俺はやるんだと まだ上がっていくんだと
ハッスルする姿を見せつけるんだよ」
今回のラップはかなり直接的な解り易いラップです。
しかしその分力強いです。
HIPHOPは中身は全部「俺が一番」的なことしかないとお思いの皆様はぜひ、
注意して現代の日本語ラップを聴いて頂きたいです。
今日はこんなところです。今回はガチなブログでしたね。
次回は、「牛角」もしくは「写真」について書こうかなと思っています。