生きるエネルギーアップをサポートする、生き方モチベーターの滝口です。
人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)、これは「淮南子(えなんじ)」という紀元前の中国の思想書の中にあるお話です。
つぎのような話です。
老人が飼っていた大事な馬が、ある日、逃げていなくなってしまいました。
村人は、老人に言います。 「この度は、災難でしたね」
それに対して、老人は言います。 「それは、どうだろう。この災難が幸せの基になるかも知れんよ」
しばらくして、その逃げた馬が、沢山の野生の駿馬を連れて戻ってきました。
村人は、老人に言います。 「この度は、良かったですね」
それに対して、老人は、次のように答えます。
「それは、どうだろう。この幸運が、災難の基になるかも知れんよ」
しばらくして、その野生の駿馬に乗った息子が落馬して、足を折ってしまいまいた。
村人は、老人に言います。 「この度は、災難でしたね」
それに対して、老人は言います。 「それは、どうだろう。この災難が幸せの基になるかも知れんよ」
その後、その国で戦争が起き、多くの若者が戦場に行き、戦死しました。
しかし老人の息子は、足を骨折していて戦場に行けなかったために、生き残ることができたのです。
「人間の幸不幸は、予測できない」ということを教えるお話です。
まさに「禍福(かふく)は、あざなえる藁(なわ)の如し」です。
そういうこで「結果に一喜一憂すべきではない」ということが言えると思います。
そのことを裏付けるような人の人生があります。
それは2012年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した中山伸弥(なかやましんや)教授の人生です。
中山教授は神戸大学医学部を卒業し、国立大阪病院整形外科に臨床研修医として勤務しました。
国立大阪病院は新しい病院だったので、中山教授は、その時「良かった!」と思ったそうです。
しかし、それは、まさに「塞翁が馬」でした。
というのは、その国立大阪病院で中山教授の上司になった指導医が、非常に厳しい鬼のような人だったのです。
しかも中山教授は、他の医師と比べて技術面で不器用だったために、指導医から「お前がいるとかえって邪魔になる!」と、毎日きつい言葉で叱られ、「じゃまなか」というあだ名で、馬鹿にされ続けたのです。
それでも中山教授は2年間、頑張り続けたのですが、その途中で大好きな父親が亡くなったこともあり、完全に臨床医としての自信を失い、臨床医としての道を諦め、研究者の道に大きく進路を変更することにしたのです。
そして大阪市立大学大学院に入り直し、研究者としての道をスタートしました。
その後、カルフォルニア大学サンフランシスコ校のグラッドストーン研究所へ、博士研究員として留学し、トーマス・イネラリティ教授の指導の下で、後にノーベル賞を受賞することになる研究テーマである「iPS細胞の研究」と出会うのす。
そして何よりも良かったことは、アメリカでの研究生活によって、臨床医としての自信を失っていた中山教授が、研究者としての自信を持つことができたということでした。
そうして、研究者としての自信を持って帰国するわけですが、今度は、日本とアメリカの研究環境の違いに翻弄されることになります。
アメリカでは、実験に使うネズミの世話をする専門の人がいるのですが、日本には、そういう専門の人がいなく、結局、新しく配属された中山教授が、そのネズミの世話をすることになったのです。
毎日、200匹から300匹の実験用のネズミの世話をしなければならないために、研究に没頭することがなかなかできず、中山教授は、自分が研究者なのか、ネズミの世話係なのか、分からなくなってしまったと言います。
そのようなことで、またしても研究者としてやっていく自信を失ってしまうのです。
そうして中山教授は、再び臨床医に戻ろうかと迷うようになります。
臨床医の道から逃げて、研究者の道に入った中山教授でしたが、今度は、研究者の道から逃げて、臨床医の道に戻るということで、迷う日々が続くのです。
ある日、中山教授が、悩みながら一人で散歩をしている時、すごく良い場所に、売りだしている土地を見つけました。
中山教授は、研究者の道をきっぱり諦めて、給料の良い臨床医として働くことを決断するために、その土地を買って、家族のための家を建てることを決意し、その土地を管理する不動産に手付金を払いました。
その土地の本契約をする前日、突然、母親から電話が入ります。
亡くなった山中教授の父親が枕元に立ち、その土地を買ってはならないと言ったというのです。
科学の道を歩んでいる中山教授は信じませんでしたが、大好きだった父親なので、一週間だけ契約を伸ばすことにしました。
ところがその後、今度は不動産から電話が入り、その土地をぜひとも買いたいという人が現れ、その土地を売ってしまったというのです。
中山教授は、その時ばかりは、母親を恨んだそうです。
その後、中山教授は研究者の道を諦めるために、奈良先端科学技術大学院大学の公募に、応募しました。
そして、それがダメだったら、研究者の道をきっぱり諦めようと心に決めていました。
ところが意に反して、その奈良先端科学技術大学院大学に採用となるのです。
そこで再び、iPS細胞の研究をすることになり、6年後の2004年、iPS細胞の開発に成功するのです。
そして2012年、iPS細胞の開発が認めれる、ノーベル生理学・医学賞を受賞することになるわけです。
読者の皆さん、どうですか、まさに、山中教授の人生は「塞翁が馬」そのものですよね。
山中教授の人生からも分かるように、「最悪と思われる事態が、将来のために最良」ということがあるのです。
ですから皆さん、くれぐれも目先の結果に一喜一憂しないでください。
大事なことは、社会に役立つ目標や自分の人格を高める目標に向かって、今できることをコツコツとやり続けることです。
その先に、素晴らしい未来が広がっているのです。
【今日の言葉】
最悪と思われる事態が、将来のために最良ということがある
故に目に見える結果に、一喜一憂しないで努力を続けよう!
最後まで、お読みいただいたことを、心から感謝いたします。
少しでも皆さまの心の幸せと生きるエネルギーアップにつながれば幸いです。
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人財育成のジェスリード
営業コンサルタント
滝口 祐幸
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