私は 「道 」という言葉が好きだ。
道のない場所というのは、ほぼ皆無であろうと思っている。
ボーダーのない空路や海路でさえも
方向そのものが、私にとっては道である。
日本の太極拳で5本の指に入る人がいる。
彼は以前出家者で、非常に厳しい修行を積んできた。
しかし、宗教という枠組みの中では
真理を得られないと痛感し、
世俗に戻り、人々に太極拳だけではなく、
真理を教えるようになった。
彼は出家の前にはすべてのことが見えて、見えて、見えて、
「どっちに転んでも確かな世界はないのか」と考えた。
「どっちに転んでも確かな世界」というのは、
「自分が幸せと思う時」と「自分が不幸と思う時」
要するに
どんなに幸せな状況にも
そこに執着を持たず、
どんなに苦しい時でも悲しみ、困難と嘆かず、
自分を見失わないことだと私は考える。
彼に出会ったのは
友人が私に、
「どうしてもあなたに会わせたい人がいる。
本当に凄い人だから」と
何度私が断っても粘り強くすすめられ、
根負けした、というつまらない理由だった。
彼は太極拳と、禅と真理を教えていた。
私は太極拳には興味がないので、真理の勉強会に参加した。
参加者全員が彼を崇拝し、
神を見るようなまなざしを向けていた。
彼が発する一言一句聞き漏らすまいと
メモをし、レコーダー録音している者もいた。
その中で私は、
先入観を持つことなく冷静に彼を観察した。
たとえ100人が凄い人、と評価したとしても、
「私」がどう思うか。
私は自分の心というものを常に優先し、
大切にしている。
冷静に観察する中で、
彼は確かに信頼のおける、
軸のブレない真理の人だと感じた。
勉強会が終わって、私は彼に呼ばれた。
彼は突然言った。
「あなたは、ずっと、孤独でしたね」
私は泣いた。
自分の生い立ちなど、
一言も彼に話してはいない。
「あなたは
地獄のような苦しみを味わってきました。
でも、
それもすべてあなたが、
これから活動するにおいて必要なことで、
あなたが選んできたのです。
苦しみの多い家族も、災難も、
困難も、偶然と思えるすべてのことを」
そう。知っている。
すべては偶然ではないということを。
私はまた、泣いた。
苦しみに満ちた私の人生を、
何も言わなくとも一瞬で理解する人がいる、
そのことにただ、涙が止まらなかった。
自己憐憫やナルシズムの中に身をおいているのではない。
客観視しても、
明らかに苦と悲しみの多い道のりだった。
自分で選んできた。
偶然とも呼べる困難や
環境でさえも、私が選択してきた。
その理解があっても、私は苦しかった。
頭ではわかっていても、心がついていけなかったのだ。
彼は続けて言った。
「あなたは、道の人です」
そう。私は真理を生きる、道の人間である。
真理を生きているとは呼べないかもしれない。
しかし、真理の道の上に、身を置いている。
ゆっくりかもしれないが、ただ、進むだけだ。
人は皆、神聖な存在だ。
時にそのことを忘れてしまっている。
どんな罪人も、本来、神聖で、深遠な存在なのだ。
そのことを
ただ忘れている。
気づかないでいる。
知らないでいる。
真理とは、
時代や人によって定義が変わる不確かなものではなく、
いつの時代も確固として揺るぎない、
摂理のことである。
真理の究極は、
人間はみな愛の存在であるということ。
神は愛であり、
すなわちすべての人間が本来、神である。
神は、
高く遠い空の向こうに存在しているのではない。
常にあなたの心の中にいる。
真理の道なくして、真の幸福は得られない。
私は道の人間だ。
同時に、神という存在である。
そしてもちろん、あなたも。










早口で話し、


