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わが道をゆく

☆ 自己研鑽のために、男性も仕事も髪もすべて捨ててみました ☆

私は 「道 」という言葉が好きだ。





道のない場所というのは、ほぼ皆無であろうと思っている。



ボーダーのない空路や海路でさえも



方向そのものが、私にとっては道である。






日本の太極拳で5本の指に入る人がいる。



彼は以前出家者で、非常に厳しい修行を積んできた。



しかし、宗教という枠組みの中では



真理を得られないと痛感し、



世俗に戻り、人々に太極拳だけではなく、

真理を教えるようになった。





彼は出家の前にはすべてのことが見えて、見えて、見えて、


「どっちに転んでも確かな世界はないのか」と考えた。






「どっちに転んでも確かな世界」というのは、



「自分が幸せと思う時」と「自分が不幸と思う時」



要するに

どんなに幸せな状況にも

そこに執着を持たず、


どんなに苦しい時でも悲しみ、困難と嘆かず、

自分を見失わないことだと私は考える。




彼に出会ったのは


友人が私に、


「どうしてもあなたに会わせたい人がいる。

本当に凄い人だから」と

何度私が断っても粘り強くすすめられ、

根負けした、というつまらない理由だった。





彼は太極拳と、禅と真理を教えていた。


私は太極拳には興味がないので、真理の勉強会に参加した。



参加者全員が彼を崇拝し、

神を見るようなまなざしを向けていた。


彼が発する一言一句聞き漏らすまいと

メモをし、レコーダー録音している者もいた。




その中で私は、


先入観を持つことなく冷静に彼を観察した。


たとえ100人が凄い人、と評価したとしても、


「私」がどう思うか。



私は自分の心というものを常に優先し、

大切にしている。



冷静に観察する中で、

彼は確かに信頼のおける、

軸のブレない真理の人だと感じた。





勉強会が終わって、私は彼に呼ばれた。






彼は突然言った。


「あなたは、ずっと、孤独でしたね」






私は泣いた。




自分の生い立ちなど、

一言も彼に話してはいない。






「あなたは

地獄のような苦しみを味わってきました。


でも、


それもすべてあなたが、


これから活動するにおいて必要なことで、

あなたが選んできたのです。


苦しみの多い家族も、災難も、

困難も、偶然と思えるすべてのことを」





そう。知っている。

すべては偶然ではないということを。






私はまた、泣いた。





苦しみに満ちた私の人生を、

何も言わなくとも一瞬で理解する人がいる、

そのことにただ、涙が止まらなかった。





自己憐憫やナルシズムの中に身をおいているのではない。






客観視しても、

明らかに苦と悲しみの多い道のりだった。




自分で選んできた。


偶然とも呼べる困難や

環境でさえも、私が選択してきた。

その理解があっても、私は苦しかった。


頭ではわかっていても、心がついていけなかったのだ。







彼は続けて言った。




「あなたは、道の人です」






そう。私は真理を生きる、道の人間である。



真理を生きているとは呼べないかもしれない。



しかし、真理の道の上に、身を置いている。



ゆっくりかもしれないが、ただ、進むだけだ。





人は皆、神聖な存在だ。


時にそのことを忘れてしまっている。


どんな罪人も、本来、神聖で、深遠な存在なのだ。


そのことを

ただ忘れている。


気づかないでいる。


知らないでいる。




真理とは、

時代や人によって定義が変わる不確かなものではなく、


いつの時代も確固として揺るぎない、

摂理のことである。





真理の究極は、


人間はみな愛の存在であるということ。


神は愛であり、

すなわちすべての人間が本来、神である。




神は、

高く遠い空の向こうに存在しているのではない。





常にあなたの心の中にいる。







真理の道なくして、真の幸福は得られない。







私は道の人間だ。

同時に、神という存在である。








そしてもちろん、あなたも。










わが道をゆく















花瓶に生けていた花が



早朝では

固く閉じたつぼみだったのに



数時間後には七分咲きになっていて驚いた




同じ花でも



早咲きの花、遅咲きの花



咲いてすぐに散る花、長く咲く花



一輪一輪すべてがちがう






花開く時期とその期間というのは



花も人も

みなそれぞれ異なるものだと、ふと思った




日は長くなり、気温も上がり、

夏はすぐそこまで来ている




着ていた上着を脱ぐように



厚く重ねた心の壁も、そろそろ脱ぎ捨てようと思う







わが道をゆく
















こんにちは合格



今日、知人から相談を受けました。



40代後半のその男性は、



猛烈な食いつきでメラメラ



質問を多々してこられて、



3時間くらいお話したでしょうかあせる





その方の個人的な状況おやしらず



助言など詳しいことは言えませんが、



その方にもお伝えし、かつ



どなたにも当てはまることを、



ここに記したいと思います音譜





世の中の物事すべては、



確実に2つの事項に選り分けられます。







物事は、

変えられる事と、

変えられない事のどちらかである




・・・ということ。



まず、変えられないものとして代表的なもの。



自分が生まれた国、

生れ落ちた家族,


・・・・などの宿命、


あなたの過去




そして変えられるもの。



自分が住む国、

出生以外の、あなたが選ぶことのできる家族



・・・・・などの運命、



あなたの未来。





これらは、わかりやすいものの代表例だと思います。






しかし上記以外の


たくさんの変えられるもの、


変えられないものの中において、


多くの人が


認識を誤っていることがあります。



それは




自分は変えられるが、他人は変えられない






・・・ということです。



他人という人間を、決して変えることはできません。



自分自身でさえ



自分の意のままにならないのにしょぼん



どうして、他人を変えることなどできるのでしょうか?



人を自分の力で変えられると言う人は、



ただの思い上がりか、



相手を自分の支配下におきたい、



コントロールしたいと思っているだけです。







誰かのおかげで変わった、という話をよく耳にしますが、




それは単に

誰かからの「きっかけ」によるものであり、




変えたのは本人その人です。

すべてその人の意思と選択で変わったのです。






それから、



自分という人間を何年も、何十年も生きている中で、



マインドを変えることは



たやすいことではないということを



誰もが一度は経験したことがあると思います。





自分を変えることに



何度挑戦しても



達成できなかったり、あきらめたり、



落ち込みガーン や苛立ちむかっを覚えることも多々あったでしょう。



でも、自分という人間は必ず変えることができる。




それもすべて、自分の「選択」にかかっています。




すべての人の人生は、



選択の積み重ねで成り立っている



ということを、忘れてはならないと思います。





あなたの人生は、



あなただけのものです。



本来、誰かにスポイルされるものではありません。






しかし、もし仮にあなたの人生が



嫌気を感じながらも、



誰かにスポイルされた人生なのだとしたら



「誰かにスポイルされた人生」を



あなたが選択した、ということになるのです。





わが道をゆく








先日、兄からメールがあり手紙


西野カナの渋谷でのライブチケットが

ドコモキャンペーンで当たった携帯から送るとの事


届いたチケットをみて驚いた目



「ご応募いただき、ありがとうございます」


・・・・とある。わざわざ応募、したのか。


兄貴、住んでる所、東北じゃん



オオクション等売買目的などない人だし


当てて妹にあげたい、という人でもない。


兄の手紙を読み返したら


「私は仕事で行けないので」


・・・・とある。行く気だったのか目




余談だが、私の兄は


日本昔ばなしの


さるかに合戦に登場するウスに似ている。


もしくは

ゲゲゲの鬼太郎のぬりかべ。


どちらにしても人間ではない。



私は新宿区のクレオパトラ恋の矢

もしくは

新宿区のチェ・ジウと言われ(・・・シーン (;°皿°)


姉も若い頃は驚くほど

モテまくった歴史を持つし、


両親の若い頃も、悪くない音譜


なぜ、兄だけ・・・・・・叫び




昔の私の彼は、兄を写真で見て


「うすどん」と命名した。



兄は高校の教員なのだが


ある日手紙がきて


「最近はつまらない没個性の教員が多い。


俺は馬に乗って通勤したい馬」という。


私が「やってみたら?」とコメントしたら


返信なしショック!


変わりに世の中の出来事を一刀両断する


熱いメールがきたメラメラ


常にコンナ感じで

一方的に送ってくるメールマガジンのよう。


私は兄をメルマガ男と呼んでいる。



今日は朝早く起きて(といっても7時だが)


愛車のジャガーで自転車(ピンクのママチャリ)丸の内へ



さすがビジネスと大人の街 丸の内


女子はみんなお洒落してワンピースくつ


男子はみんなビシッとしてる~合格



そんな街を、さすがに


美川憲一みたいな頭で


歩けないので


(しかし美川憲一も、

もうちょっとカツラのバリエーション増やせないものかね)



ハットを帽子かぶっていきました。



単発の今日の仕事のために

前日ものすごい勢いで書類を作成しメラメラ


2日かかるところを


数時間で仕上げた自分を賞賛音譜





そのあと


知人の


女性会計士(アラサー裕子:仮名)とモーニングランチナイフとフォーク



バリキャリで仕事に忙殺されてる彼女は


結婚をしたいが候補が5人いて迷っているという(←おいおいあせる


体の関係がない人がほとんどらしいが


なんだかなあ~、もうむっ




「もう赤ちゃん生む年齢のタイムリミットだし」


「本当に心身共に疲れていて支えがほしい」という彼女に


あなたは愛の電池が切れている、と私は言いました。




結婚は


雨が降ったときの軒下ではない。



結婚を「寄らば大樹の陰」と捕らえてる人が


非常に多い。




彼女の場合は経済的に安定してるが


経済の安定を求めたり


老後を心配したり


男性だったら

家事や身の回りのことををしてほしい


という理由の人が本当に多いです。



結婚相手は自分の人生の


多くの時間を共有する人なのに、


みんないろんな表面的な事や固定概念・世間の常識に


振り回されいるように思う。




常識なんて時代で変わる全く当てにならないもの。


江戸時代なら二十歳のおなごは年増。


明治では夫婦別姓なんて考えられず

離婚は一家の恥とされたのに


今や離婚なんて当たり前。


そんな刻々と変化する常識に

しがみついてるのは

非常にナンセンスショック!





誰かに支えてもらうために恋人が必要なのではなく


子供がほしいから

老後が心配だから結婚するのではなく



この人と共に歩もうと思うから相手を支えたいと思い


この人を愛してるから子供がほしいと思う



結婚はもっともっと真摯なものです。



自分を愛せない人は他人を愛せないし


飢え、渇いた心は他人では埋められない。



自分の孤独に向き合えない人は

ほかの誰かと一緒にいても孤独でしょう。


     一人になれない人は二人にもなれない




経済的なことだけではなく


自分の問題をほかの誰かに


解消してもらおうとしても


根本的な解決には至らないから


その先必ずまた

同じようなことで自分が苦しむ。



筋肉が弱くて歩けない人が


常に誰かに支えられて歩いているようなもの。


支えてくれる人がいなくなったらどうするんだろう?



愛情その他、自前で生きられない人は


いつも出前することになる。出前の店が休みだったらどうすんのw



自前できない人は、

一生人からもらって

出前で生きることになる。




どんな金持ちだって、


いつ仕事がだめになって崩壊するかわからないし


子供が親の面倒を

最後までみるいい子に育つという保障はない。



どんな状況、環境でも、


相手を真摯なきもちで愛すればこそ


超えていけるのに。


その気持ちがなければまた、


他者に依存して違う誰かに乗り換えることになる。



私の知人は確か45で初産だったし


食生活の変化から今は体だって変化してきている。


それを


何歳だからどうのこうのなんて


まっったく時代遅れ。




私も以前母親から


「早く結婚して子供生んで」と

毎日のように言われてましたが


とうとう堪忍袋の緒が切れてドンッ


「そんなにほしけりゃ自分で生めばいいじゃない」

といったらそれから言わなくなりましたw



前述の裕子には


いろいろ助言して、


泣きそうな顔しょぼんして


「5人の中で、付き合いたい人がいる」

というので

付き合ってみなよ。どうせだめになるから

と予言しておいたメラメラ


手ごたえあったから、

きっと色々

考えなおすと思う。



私は

この人と生涯を共にしたい、

障害を共に超えたい、

と思う人以外は結婚したくない。(生涯と障害って同じ言葉なのね・・・・)


そう思えなければ

一生結婚しなくてもいい。


結婚したのなら

全身全霊をかけて

相手を愛し抜きたいと思っています・・・・。





































こんにちは


アメーバの記事で


男が彼女に別れ話をする場合


対面    54%

メールラブレター 21%

電話 携帯 13%


・・・・・・・・・・とありましたが



別れ話をメールでするって、どうなの??????



相手のつらい顔や、泣き顔をみたくないという理由が

大きいのだろうし、その気持ちはわかるけど、



結局それって





相手の悲しむ顔を見て、

自分が傷つくのが嫌なだけ。


要するに自分が一番大事


・・・・・なんです。



一度でも、一瞬でも相手を好きになったなら、

メールで別れ話はないよなあ~、とつくづく思う。



・・・・と偉そうなこという私も、若かりし頃は

男性に散々ひどいことしたけどガーン



自分を本当に大切にしてくれた人と別れる時、

相手の嘆き悲しむ姿を見て、



もうこんな思いはしたくない、と思いました。


だからこそ、

自分の至らないところを

反省して

次からはこのような思いをせずにすむ恋愛を

しようと思うのではなかろうか。



相手の悲しむ顔を見るのは

とてもつらいことだけど

そこを通らなければまた同じことを繰り返すでしょう。



恋愛の話と思いきや、

こういうことって

すべてにつながってくるから、


仕事や人間関係のどこかで、

そういう人間性がこぼれ出て信用を失うことがあると思う。




恋愛ではメールで逃げ切れても

仕事や人間関係で

メールでは対処できないようなことが

必ず試験的にでてきて、また逃げれば、

信用を一気に失ってしまう。



人の本当の強さって、

腕力でも知力でもない

すべての物事に逃げずに立ち向かい、

対処していく勇気のことなのかも・・・・・。





あなたは神様を信じるでしょうか?




私は


物心つくまで


神様どころか人も信用しませんでした。



友人はもちろんのこと


学校の先生も


親も兄弟も


自分自身も


未来も


誰も


何もかも


なにひとつ信じるものがありませんでした。



人間としての土台をつくる


一番初めに接する家族という小社会が


非常に劣悪でしたし


他人の言ってる事と


本心が違うことが

わかる子供だったので


なおさら


何も信じることができませんでした。





預言カフェというお店があります。


店員は全員クリスチャンです。


そこでは


キリストの言葉を


店員さんを通してお客さん一人ひとりに


個人的に語られます。



私は

そこによく通っていて、


近所なので

もう20回くらい行っていて(行きすぎw)



語られた言葉は

遅々としていながらも

現実になり


そして預言を受けた多くの人も

預言通りになり

それから

今まで全く興味のなかった

キリストを信じるようになりました。



洗礼を受けているわけではなく

組織や宗教とは

全く別の個人としての信仰です。



私は以前

成田山で断食の修行をしたときに

キリストと共に生きようと決意しました。

(場所が寺・・・・w)


仏陀もキリストもアラーもすべて、愛の人です。


宗教という組織が色々なことを

変えてしまいましたが


キリストも仏陀も

ボロ布をまとい、


はだしで野山を

かけずりまわり


人に

幸せとは何か、

苦とは何かを説いていました。


仏陀は、神とはされていませんが


愛、調和、平和、許し、真実を神としており、

そういう意味では仏陀も神です。


多くの神様がいますが


私はとりわけ

イエスが好きです。



以前

夢ではない、でも現実でもない、

なにか不思議な状態のときに


イエスが出てきて


あなたは、

私に会って偽証をしてはならない」


・・・と言われました。


嘘をついてはいけない。


他人にも、自分自身にも、嘘をついてはならない。



それが

自分の人生を生きる土台だと

彼は言っているのだと思います。



「求めよ、さらば与えられん」


神を信じ、

神に求めるならば、

いい加減な自分ではいられなくなります。


キリストなんて

実際いないかもしれない。


しかし、

キリストに限らず、

宗教とは別のところでの

神の信仰は、

人を成長させます。



以前の私の周りには

信用できるような

人間が一人もおらず、

実際、怪しくいい加減な友人しかいませんでした。


しかし

自分の心に正しく、

神と共に生きようと決意した今、

10年前の友人は一人もおらず、

信用のおける暖かい人しか周りにいません。



あなたが愛の人ならば、

愛情に満ちた人があなたの元に来るでしょう。


あなたが自分に嘘をつかなければ

正直な人があなたの元に来るでしょう。


秋葉原には

アニメや家電を求める人が集い、


六本木には

遊びを満喫したい人が集まります。


勉強したくて辞書を持つ人は

それらの場所に

行きません。


そのように

自分をどのような街にするかで

集まる人が

変化するでしょう。



神よ、


私がもっと

人を愛せるように


人を許せるように


人を迎えることができるように



傷ついた人の声をきける耳を


傷ついた人を癒す手を


傷ついた人を励ます声を


私に与えてください。



私は

あなたと共に生き、


あなたの中で生きることを


心新たにして今、ここで誓います。


すべての人の中に

神を見出して

愛することができますように



心から

あなたを愛しています。


アーメン







誰かにプレゼントを渡すにもプレゼント

誰かに食事をつくるにもナイフとフォーク

誰かと話すときもキスマーク


そこに心がなければまったく意味がないし
その心というのは
目には見えないが
必ず伝わるものです



だから私は

心とちぐはぐな

会話ばかりで、心と違うことをいう人や

心ない人と

接点を持つことは避けることを

仕事以外では徹底しています。



頭数そろえの結婚式などの

自分の心が伴わないものには出席しないし

また

自分が結婚するときも

こころから祝福してくれるひとだけを集めたいと思う


100人の義理なら1人の温かい心を選択します。



政治家などの著名人の葬儀には

何百、何千というひとが参列しますが

その中で

心から故人を悼む人は

いったい何人いるのでしょうか


もし自分がこの世を去って

多くの人が葬儀に参列しても

そのほとんどが義理できてたとしたら

それほど悲しく虚しい事とはないでしょう



私は

すべての

行動の原点が

自分の心でありたいと思っています。


自分の心に

うそをつくことは

結果他人にもうそをつくことになり

自分の心を大切に

生きていくことではじめて

自分の存在を喜び、自分を愛し、人を愛せるのではないのだろうかと思う。



この人を見てると
心というものを大切にしなきゃあと
切実に思うダウン






6月25日に本を出版するらしいが
来日しないかしら・・・・・

死ぬまでに一度、ケントに会いたいなあ~音譜
マドンナとマイケルジャクソンが取り合ったくらいの
すごい日本人のダンサーがいます


ケント・モリ


この人は自分の好きなこと

自分のしたいこと

やるべきこと


それらがすべて明確で、


人生と日常の目線が決まっていて


まったくブレがない。


熱く生きてる感じがすごく伝わってきて


こういう風に自分の心を大切に生きている人は


きっと他人にも優しい人だと思う。


インタビュー是非みてください。


わたしはこういう、自分にブレない人が大好きです。


本当にカッコイイわ~








今日やっとパソコンを購入しましたクラッカー


アキバで買ったのですが、


担当の店員さんが
「おお!!!一分の隙もないアキバ青年じゃ!!!」というくらい


容貌、話し方、

アキバ人間のサンプルそのものドクロ
みたいな人が色々と説明してくれました。


まず、あまり人の目を見ず目早口で話し、

質問に対しまったく遊びがない返答をし、

すべての質問に対し、的確に答える自分にひそかな恍惚感を感じているような・・・宝石紫

あの人、出生場所はおそらくビックカメラだろう得意げ


話は変わりますが、


私は昔から


どうすれば人は平和に生きられるのだろうか?

どうすれば平和な世の中になるのだろうか?


と自問していました。


いつもいつもそのように大きなスケールでものを考えすぎて



「木を見て森を見ず」の反対で

森ばかり見て木を見ていなかったのでした霧


世界より自国。


自国より地域。


地域より家庭。


家庭より自分。


結局、まずは自分自身が平和で幸せでなければならない虹



自分の中に戦場はないか?

自分を殺していないか?

自分を傷つけていないか?


それらすべてをクリアにして

自分を愛せるか?


自分を大切にすること、家族を大切にすること。


それが人間としての原点・平和への発露だと思います。



あなたの心の中には、戦場がありますか?