私の兄、親族は今回の東北地震において被災しました。
私に何かできる事はないかと考えていたおり、こんな記事を目にしました。
被災地でのボランティアや、
物資を送りたいと考えている方がいらっしゃいましたら、
以下の抜粋記事を是非参考になさっていただきたいと思います。
阪神大震災で被災された経験がある、西宮市議会議員・今村岳司さんのブログ3月13日の記事より。
長文になりますが、一部ご紹介したいと思います。
「悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに『惨めな被災者』と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、
増税を受け容れること、節電など、
政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。
『被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか』と友人に訊かれたので、こう答えました。
まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、
入ろうとする支援部隊や家族でアクセスはただでさえ大混乱。
非常に邪魔です。
統制もとられておらず
装備もなく訓練も受けていない『ボランティア』はただの野次馬観光客です。
何の役にも立ちません。
自衛隊は、
食糧から水から燃料から寝具から、
全て自前で用意して出動します。
しかし手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、
被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。
次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
『着るものがないだろう』とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
『○が不足しているのでどこに送って欲しい』
という呼びかけに応えるのであれば、ぜひ送ればいいともいます。
要はプロに任せることです。
6年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです」
情熱だけで赴くボランティアは、足手まといになるだけではなく、
被災者の心にさらに負荷をかけてしまうようです。
今回の被災者に話を聞くと、
上記に書いてあるように、
ボランティアは「感謝されたい」という気持ちが土台にあり、
被災者から少しでもきつい態度をとられると、
不機嫌になったりするそうです。
この状況で、
被災者の精神が安定しているはずがありません。
ボランティアを志願している人は、
被災者に怒鳴られたり、ぞんざいな態度をとられることなど
微塵も考えていないようです。
私はもうブログはやめると決めていましたが、
「被災者にむけてできること」
それは、被災経験者の情報から、
被災地において求められる、真に必要かつ正確な行動をとり、
その情報を伝えることもその一つだと思い、
今こうしてキーを打っています。
今、被災者の方は
失意と混乱の中にも
気を張っている方も多く、
世間の方も同情し、支援してくれます。
しかし、あと1,2ヶ月もすれば、
徐々にこの惨憺たる事実は、
世間から忘れられていくでしょう。
そして時間の経過と共に、
被災者の悲しみや不安は深まっていくでしょう。
被災者は、これからが本当の戦いなのです。
物心共に、まだまだ試練は続きます。
一ミリでもその試練を短縮することができるのならば、
私たちは今、
「 真に求められることだけ 」をしなければなりません。






