いえのレコードを聴きなおす -7ページ目

いえのレコードを聴きなおす

音楽やオーディオなどです。ステージ4の癌になりました。

最近とても気になっていること。
私が生まれた街は武蔵小杉というところで、今では開発が進んで、駅前を中心にタワーマンションが林立して、もはや往時の面影はないけれども、まあ、そんなこと言っても、住んでたのは4歳までなので、大して憶えてないくせに、と言われてもそうでしょう。今でも乗り換えで駅は利用することは多くありますが、街中に出たのは久しくなくて、仕事がらみを除けば、大分前に何かの勢いで、自分の生まれたあたりを探しにいったことがあるくらい。ただ、その時の印象は強かったのです。

「ここから先は危ないから、絶対に行っちゃだめだからね。」

幼いあのころ、母親からそう言われていた大きな通りは、いつも遊ぶ友達の家の少し先にあって、当時の私にはそこが世界の果てだった。大きな通りの向こう岸には壮大な朱っぽい門のようなものがあって、いったいどこにつながっているかわからないけど、たまらない威圧感があって、絶対に行っちゃだめなことを納得させるような威容を誇っておりました。

何なら、車がびゅんびゅん通っていて、あっちにわたることなんてできない。そんな感じだったと思うのです。

たぶん三歳くらい。よく憶えてるよねと思うのですけど、当時その大河のごとき大通りに面したよその家の前にあった灯油タンクを倒してしまい、少しこぼれて、それで火事になったりしないかしら、とハラハラしていた。火をつけなければ発火しないなんて知らない三歳児でした。

そして、随分大人になってからそのあたりを探しに行ったのです。

今はともに亡くなってしまった両親に電話したりして、「住所、何だっけ?」(それを今は忘れた。)とか言って、ふんわり彷徨っていたら、全然変わっているのですけど、ここだ、と思う場所、若い両親が住んでいた、テレビが白黒だった子供のころ過ごした二階のアパートが建っていたはずの場所に違いないと確信する場所が見つかった。何なら、こっち側の建物は当時から変わってないね、なんて。幼いころの記憶と全然違っているけど、そこが同じ場所だとはわかる。

そして、私の小さな世界の果てへ、友達の家、大河の如き大通り、壮大な朱い門を望むその場所へ...。

確かにその場所はありました。

大通りは舗装さえされてないような小径、そして向かい側にある壮大な朱い門は....何というか、仔犬が通れるくらいの小さい小さい赤い鳥居でした。新しかったから、その後何度も作り変えられたのかもしれません。全然記憶と違うけれども、これがその場所だったと、なぜか確信が持てるのです。そうだ、私も当時は仔犬くらいのサイズだった。

痺れたように立ち尽くしてしまった。同行者がいなかったら、私はそこに何時間でもいたかもしれません。傍から見たら全く意味が分からないし、時は夕刻、それ以上留まることもできない上に、その時は写真を撮るという文化も私にはなかった。

そして2025年の現在、私が気になっていること、果たしてその場所はまだあるのかしら?街の開発はさらに進み、あの時は開発の波から取り残されていたそのあたりの場所も、もはやそうではないかも。絶対そうだ。

かくして、もう一度その場所を探しに行きたい気持ちがつのるのですが、病後にギリギリで何年も生きている私にはそんな余裕があるのかわからず、もっと涼しくなったら行ってみようかしら、などと考えているのです。

誰とも共有できない心沸き立つ記憶。そんな感じです。
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ということで、大きな門というだけでここにつなげるのは無理があるかもしれませんけど、1991年録音のウゴルスキの一番有名な録音を聴きましょう。あれほどセンセーショナルにデビューさせたのにも関わらず、DGは彼が亡くなった時には何もしなかったように思いますけど、どうなんでしょう。何かしら期待してたんだけどね。

初期のメロディア録音を除けば、レコードで聴けるのはこれだけ。国内盤ですがドイツプレス。個性的な演奏ですけど、もはやスタンダードになってしまいましたね。人気だった当時、私は来日公演を厚木で見たと思います。思います、というのは、何だか当時わさわさしていて、あまり細部を憶えていない。子供のころから知っている小さなホールだったし、いいかなって思って。DG後のスクリャービンのソナタ全集なんか、レコードになったらいいのにって思うけど、CDさえあまり売ってませんね。メシアンの録音なんか、手放してしまって、今は後悔してます。どこかのタイミングでまた大きく再評価される人ではないかしら、と思うのです。