1982年、仏ハルモニア・ムンディからのリリースのレジス・パスキエのバッハの無伴奏、1945年生まれのパスキエは当時30代後半で、この時期に同レーベルに多数の室内楽の名演を残しているのはご存じの通りですが、なぜかこのバッハは、あまり見かけない。CD化もされてないようで、なんでだろうと思いつつ、忘れずに待っていればそのうち見つかるものです。いつからか自宅のレコード棚に入ってます。
ただ、最初に聴いた時には、期待していたのと全く違った印象の演奏だったので、「何だ、これ?」と思って、一旦は封印してしまいました。あのいつもの色彩豊かな美音で彫琢される、いかにもフランコ・ベルギー派的な演奏を期待していたわけですけれども、全然違っていて、何だか重い感じ。これはこういう演奏であって、バロック・ヴァイオリンによる演奏を聴き過ぎた私の感性がおかしくなっているわけではない、では、この演奏の意図は何だろうか.....と。
リリース当時10代だった私には、もちろんリアルタイムな記憶はありませんけど、大学生になってクラシックしか聴かない時期に突入した頃の記憶でも、これのあとに出てくる、DGのミンツとかEMIのパールマンとかの録音はいつも話題にあがっていたし、クレーメルのフィリップス盤はすでに出てましたので、私はそればかり聴いていたのですが、少なくとも仏HMは日本でもよく紹介されていたレーベルでしたから、CDになっていたら知らないはずはない。レコードも、後に仕事でレコード屋になって、買取の業務をしていましたので、ずっと大人になってから「こんなの出てたんだ」って思ったものって、そうそうないのですけど、これはそんなもののひとつかもしれません。だから、みんなが聴いてる気がしない。
初対面の違和感から、一旦は封印したものの、再度、再々度聴きなおしていると、私には、ここでのパスキエはバッハをシゲティみたいに弾きたいんじゃあないかなと思い始めたのです。キラキラの美音をまき散らすような演奏ではなく、遅めのテンポで一弦一弦彫り込んでいくような感じ。パスキエには70年代にARIONにイザイのソナタの録音がありますけど、同じ楽器を使っているとは到底思えない、でもそう思ってシゲティの録音を聴いてから戻ってくると、何のことはない、美しいパスキエの音に思えてくるので、不思議です。シゲティにはシゲティの美しさがあるのは言うまでもありませんが、あの演奏を聴いてしまうと、バッハを外面的な作りの美しさだけで演奏することに意味を感じられなくなる気持ちもわかりますから、何だか徐々にこのパスキエのバッハの意図がわかり始めて来たように思うのです。
最近はモダン楽器とバロック・ヴァイオリンを弾き分ける演奏家が増えてきましたが、何だか時代の間隙に落ち込んで忘れられている演奏な気がしてきて、少し愛着を感じ始めて来たようです。
