二条エリアの幕末史跡 | 歴史と文化と和の心♪

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こんばんは‼

繁華街から場所を移して二条へ。

今回は二条城周辺に点在する幕末史跡を巡って参りたいと思います☆

まず、御池通を二条城に向かって歩いていると出てくるのが、若州小浜藩邸跡です。

ここは慶喜さまが宿舎にしていたところでして、幕末期、一会桑ワールド(いや、慶喜ワールドか?)が展開していた場所でもあります。

かの有名な四賢公会議もこちらで行われておりますね‼

 

慶喜さまはここから二条城に登城していたわけです。

熱愛人物ゆかりの地、やはり感慨深いですね・・・(*´ω`*)

 

・・・ちなみに現在は、まさかの刀屋さんになっておりました。

さらに少し進むと、東町奉行所跡が出てくるのですが・・・

ちょっ・・・、これは・・・←

二条城近辺の史跡って、何故かこんなパターンが多いです(;'∀')

東町奉行所があれば、西奉行所跡もあります。

こちらは現在中学校となっているのですが、敷地内、相当な規模だったことが偲ばれます。

西奉行所とはまた真反対を行くと、京都所司代上屋敷跡が‼

 

幕末期の京都所司代と言えば桑名藩主の松平定敬ですね‼

高須四兄弟の末っ子でして、会津藩主松平容保の実の弟になります。

一会桑政権にまつわる本がもっと世に普及してくれることを願って・・・←

また二条城近くに立つ「二条陣屋(重文)」は、二条城や京都所司代に仕官する中小の大名の陣屋として使用された建物で、現在でも隠し部屋や武者隠しなどを見ることが出来るそうです。

俗に「からくり屋敷」とも呼ばれているそうな。

 

 

さぁそして春嶽殿や左内殿が寝泊まりしていた越前福井藩邸跡を見に大通りへ出たら・・・

工事中だったorz

 

盛大に工事中だった( ;∀;)

石碑もどけられてたし・・・。

 

これ、戻してくれるんですよね・・・?

また工事が終わったころに訪ねてみたいと思いますorz

・・・気を取り直して、二条城前から六角通を四条大宮に向かって歩く途中、平野國臣や古高俊太郎らが最期を遂げた六角獄舎跡が出て参ります。

平安時代には右獄と左獄に分かれていたそうなのですが、右獄は早くに廃止され、左獄は秀吉の時代に小川通御池に移った後、宝永5(1708)年、この地に移されたそうです。

広さは3636㎡あったといい、内部は一般の牢・キリシタン牢・女牢などに分かれていたといいます。

 

・・・今はめちゃくちゃ綺麗なマンションが建っていたのですが・・・|д゚)

京都の人、意外とそういうの気にしないみたいですね(同僚談)

また、この地は山脇東洋が宝暦4(1754)年、京都所司代の許可を得てわが国で初めて刑死者の解剖を行った場所と伝えられております。

その時の解剖記録が、かの有名な『蔵志』になりますね‼

そして六角獄舎跡の目と鼻の先にある「武信稲荷神社」は、ある幕末志士ゆかりの神社だといいます。

境内にある樹齢800年という榎の大樹。

この木に坂本龍馬が、自分の無事を愛するお龍に伝えるため、二人の共通の文字である「龍」の字を彫ったという逸話が伝わっております。

 

故に縁結びスポットとして人気を集めているみたいですね‼

創建は平安時代といいますので、由緒ある神社です。

 

 

 

 

何だかこう、最近炎天下の中を歩く機会が増えたため、夏を目前にすっかり日焼けしてしまいました(;´Д`)

京都の夏は暑いみたいなので、これ以上焼けないよう日焼け対策を万全にしたいと思います・・・。