大隅国分寺跡 | 歴史と文化と和の心♪

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京都発歴史好き薩摩おごじょ緑木の日々是奮闘記!!

こんにちは☆


本日はお休みなのですが、今朝方何気なくテレビをつけていたら、NHK教育で小学生の学習向けの歴史番組が流れており、物凄く懐かしい気分になりました(笑)


我々が見ていた頃とあまり変わらないのですね!Σ(・ω・ノ)ノ!

小学生の頃はこういった番組根こそぎ録画してみてたなぁ・・・としみじみしてました(笑)


しかも本日は織田信長についてでしたので、食い入るように見ておりましたとも信長公!(何)

ちなみに今月の『歴史人』は信長公が特集されていたょな確か!

まだ買ってない!買いに行かねばっ!←



「天下布武」を掲げ、弱小大名から一気に天下統一のレールへとのし上がり、その好奇心とカリスマ性で桶狭間、姉川、長篠などの戦いを潜り抜けてきた信長。

志半ばで本能寺に斃れる事となりますが、彼が思い描いていた夢、理想は永遠の歴史ロマンですね!


昨年安土の山を登ったとき、ここで信長は何を思い描き、どんなビジョンを見ていたのだろうかと何だか一時天主跡から離れられない感じでした。



それこそ信長は秀吉・家康とともに初めて覚えた戦国武将の名前ですが、今でも彼らの生き様について、色々考えたりしますネ(笑)


熱愛人物とはまた別の、大好きな人物です。







・・・ということで、前触れが長くなってしまいましたが、本日は大隅国分寺跡のお話まいりたいと思います。


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大隅国分寺跡は鹿児島県霧島市にある、国指定史跡です。


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聖武天皇の天平年間(729~748)に飢饉や疫病、反乱などが起こり、国内の世情が不安定となる中、聖武天皇は五穀豊穣・天災地変・争乱の災禍を無くし、仏典の宗教的統率力をもって国の統治、平和をはかるために(鎮護国家)、天平13(741)年、全国に国分寺建立の詔を出しました。

国分寺は、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら=僧寺)と法華滅罪乃寺(ほっけめつざいのてら=尼寺)があり、こちらの大隅国分寺は僧寺跡だといいます。


大隅国分寺の建立については奈良時代末から平安時代初期頃と言われており、はっきりしたことは分かっておりません。



何回かの発掘調査によって寺域の溝跡や創建時のものとされる布目瓦の集中区が見つかっているといいますが、伽藍などの遺構は未掘だといいますね!



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現在敷地内には「康治元(1142)年」の銘を持つ石造六重層塔や、仁王像、碑文などがあります。

こちらの石塔は上2段の石質が異なっていることから、後年に補修されているということが分かっているといいます。


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そして仁王像。

こちらの国分寺は最終的には江戸時代の元禄年間(1688~1704)年に再興されたといいますが、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃絶したといいます。


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鹿児島は特に廃仏毀釈の酷かった所なので、県内の寺院跡にはこのような痛々しい仁王像が多く残っております(TωT)








現在、市街地とその周辺では開発が活発に進められているといいますが、本格的な発掘調査がまだらしく、また新発見に請うご期待な史跡デス←












以前筑前の国分寺をご紹介しておりますが、各国に配置された国分寺を発見するのもまた楽しいですね!

さ・・・薩摩の国分寺も見に行かねばっ←(え)