阪急中山観音駅  NAKAYAMA KANNON



🔴総合版(💯点満点) 2024年3月現在

①交通利便性  8点 

②治安     9点 交番❌

③買い物環境  6点

④飲食店    4点

⑤子育て環境  9点

⑥公共施設   3点

⑦観光スポット 7点

⑧家賃価格など 9点

⑨商店街・SC      4点

⑩防災     9点 消防署❌

  合計      68点


🔴一人暮らし男性版 合計66点

※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視 


🔴一人暮らし女性版 合計71点 

一人暮らし女性版は交通利便性と治安重視


🔴子育て世代版   合計73点 

子育て世代版は子育て環境重視


🔴シニア版     合計59点

⑪医療    3点 

シニア版は買い物環境と公共施設重視


📌採点基準等につきましては、下記の記事にて解説しております。


📌


  500点満点中337点(平均67.4点)


☑️中山観音駅周辺/セールスポイント3選

❶日中の時間帯には大阪梅田まで28分で移動できること。
❷「ダイエー」が近くにあり広い食品売り場を有すること。
❸安産祈願の中山観音のお膝元であること。

 

🔴中山観音駅周辺にまつわる4択形式のクイズ🔴
Q 中山寺の伽藍は一度、戦火🔥により消失していますが、次のうちどの戦争によるものでしょうか?

❶南北朝時代の湊川の戦い
❷戦国時代の荒木村重の乱
❸江戸時代の大阪冬の陣
❹昭和初期の第二次世界大戦

クイズの答えは本記事の一番最後に記載しています👇。

サムネイル

✅10項目の講評

①交通利便性🚞

 中山観音駅から日中時間帯には毎時6本運行されている急行大阪梅田駅まで28分、宝塚駅まで6分でアクセスできます。

 兵庫県内の駅ですが沿線の特色上神戸方面への通勤通学よりも大阪方面への通勤通学に適しています。

🔺駅北口です。

🔺駅南口です。麓のため駅に勾配があります。

🔺改札です。


🔴阪急中山観音駅の概要

1日あたりの乗車客 約6,000人(2019年度)

2面2線 地上駅


②治安🚨

 宝塚らしい閑静な住宅街が南北に広がります。後背地には1970年代に山林🌲を切り開いて開発された大規模な住宅地🏘の「中山五月台」が広がります。

🔺南側、国道176号線沿いの風景です。


③買い物環境👜

 南西に5分ほどのところに立地している「ダイエー中山店」が大型の食料品スーパーと基本的な生活用品を揃えているショッピングセンターで、基本的な商品はこちらで買い揃えられます。


🔺ダイエー中山店の外観とフロアガイドです。3フロア構成です。


④飲食店🍽

 「中山寺卍」の入り口まで参道沿いに小規模の飲食店街があります。ロードサイド店舗はほとんどありません。

🔺「中山寺卍」まではミニ門前町が形成されています。


⑤子育て環境👦👧

 閑静で自然も豊かな宝塚の中でも特にこの近辺は教育水準も高いエリアとなっています。売布小学校区の場合は公立中学校である宝塚中学校までの距離はかなり遠くなるので注意が必要です。


⑥公共施設📖

 南口より徒歩10分ほどの「フレミラ宝塚」は老人向けや子供向けのイベントが催されたり、運動施設や教室なども設置されており地域住民の憩いの場となっています。


⑦観光スポット

 安産祈願、子授け祈願で名高い聖徳太子が創建したと伝えられる我が国最初の霊場観音である「大本山 中山寺卍」は駅名にもなっている通り当駅よりすぐにアクセスできます。「青龍塔」と名づけられた五重塔や梅林も見所の一つです。


🔺中山寺入り口です。

🔺混雑期には露店も見られます。

🔺「大願塔」です。

🔺「青龍塔」の異名を持つ五重塔です。

🔺「大師堂」です。弘法大師を祀っています。


🔺「中山梅林」です。梅の名所です。


⑧家賃💰

suumoによると1k1dkあたりの平均家賃価格は約5.3万円となっております。


また、2LDKの平均家賃価格は約6.2万円となっております。

⑨商店街・SC

 中山観音に至るまでの参道はミニ門前町のような雰囲気です。


⑩防災🔦

  ♦︎地形の種類=砂礫質台地 ♦︎揺れやすさ 0.87

 ♦︎30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確率 4%

   ♦︎海抜62m🗻


●まとめ●

 「大本山 中山寺」の麓に位置する中山観音駅周辺は子育て環境が非常に良さそうなエリアです。


🔵住むのにお勧めエリア🔵

 南側でもやや東寄りに居住すると、JRの中山寺駅にも近いため2社2路線を必要に応じて使い分けれるので便利です。



追記 駅スタンプ


 中山寺が「安産祈願」の寺であることを示しています。


クイズの答え=❷

 1578年の現在の伊丹を拠点としていた荒木村重の反乱の巻き添えにより消失するまでは、高野山や比叡山による寺領を備えていたと伝わります。1603年に豊臣秀頼の祈願により再建されています。