10年の介護生活、そして、今、終末期へ。 | 音楽って素晴らしい!

音楽って素晴らしい!

好きな音楽について語ります♪

アメブロで記す、二度目の介護記録です。
一度目は、こちら

2006年9月1日、母が、左足大腿骨頸部骨折。
それがきっかけで、介護生活が始まり、今日で、ちょうど10年の月日が流れました。
(アルツハイマーは、14年前から)

今年、5月あたりから、食欲が落ち始め様子を見ていたところ、先月末、容体が急変。
40℃近い高熱と意識がない状態になり、救急で入院しました。

色々な検査の結果、誤嚥性肺炎の可能性があるとの診断。
肺のレントゲンは、正面から撮影しないとはっきりしたことが分からないそうで、ベットに横になったままの撮影では、きちんと撮影ができず。曖昧な診断になってしまうのだそう。

また、極度の脱水(高ナトリウム)、高カルシウム、甲状腺ホルモンの枯渇、そして、驚いたことに糖尿病の疑いがあるとのこと。
(その前に、以前から血尿が出たことがあり、7月にCT検査の結果をしたところ、膀胱癌の疑いもあり)
調べれば調べるほど、異常な値が出て、状態としては、老衰と言えるようです。

先生曰く、回復しても、食事は、口からの摂取は難しいとの診断。
胃ろうか、経鼻栄養の選択に。
高齢なので、胃ろうは、その処置をする手術に耐えられない可能性があり。
私も常々、胃ろうだけは避けたいと思っていたので、すぐにお断りしました。

残るは、経鼻栄養ですが、その処置をしてしまうと、今までいた特養には戻れず。
どこか受け入れてもらえる施設を探すか、自宅療養になる可能性があり。
はぁ~まったく先が見えず、気がかりなことばかりです。

とりあえず、応急処置の結果、危機は脱し、回復。
一時は、驚く回復で、もう何年も言葉を発することがなかったのに。
朝、先生が『おはようございます』と声をかけたら、『おはよう』と返事したとのこと。
また、その日は、私の呼びかけにも『はーい』と答えました。
こんな奇跡的なことが起こるのですね。
ただ、意識がはっきりしていた日は、その一日だけで、その後は、ウトウトしている状態が続いています。

救急で運ばれたので、その場には、交通事故で搬送されてくる方もいらして。
間近で、緊迫した現場を見ました。
1件は、ご家族と連絡が取れず、警察官ふたりが待機。
もう1件は、ご家族が駆けつけたものの、おそらく悲しい現実に。
(ストレッチャーには、血まみれの男性、「心臓破裂」と言う言葉が聞こえた)
その駆けつけたご家族のおひとりが、ショックを受けて倒れてしまう現場を見ました。

母のことは、長年の介護で、諦めがあり、平然としていた私ですが、そんな、生きるか死ぬかの現場に直面して、すっかり心が乱れてしまいました。
(ひとりで、付き添っていたせいもあり、色々と考えさせられた)
こうした体験から、治療で、元気を取り戻す母を見ていると、放っておけず。
海外では、食事を摂取できなくなったら、胃ろうや経鼻栄養の処置はせず、自然死を待つとのこと。
そんな延命処置はしないことを選びたいという気持ちがありましたが、母の命を私が決めることなど出来ない気持ちになってきました。

今は、下痢が酷く、栄養を摂る段階ではなく、まだ経鼻栄養は始めてはいませんが…。
先生の話をよく伺い、母が安らかに息を引き取れることを一番に考えて、寄り添いたいと思います。