【追記あり】母の介護生活、8年の記録 | 音楽って素晴らしい!

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今日は、ブログのタイトルとはかけ離れ、音楽関係の話ではなく、プライベートなことを記します。


母の介護を始めて、8年の月日が流れました。
良い機会なので、今までを振り返り、記しておこうと思います。
(自宅介護を終え、少し気持ちに余裕ができ、記しておきたい気持ちになりました)


2002年頃から、母の言動がおかしいと感じ始める。
認知症の始まりだった。

旅行で休憩を取った、サービスエリアのトイレに、手荷物を忘れる。
自宅の鍵が無いと、頻繁に、言うようになった。
洗面台の引き出しに、濡れたタオルが放置されていたことに、激怒。
父のせいにしていたけれど、母がやったことだった。
父が浮気していると、私に、真剣に相談するようになった。


2006年9月1日、左足大腿骨頸部骨折で入院。
どうして、こんなことになったのか、おそらく、転んだはずなのに、本人に聞いても分からず。
この日から、介護生活が始まる。
入院している間に、介護保険サービスを申請。
住宅改修補助にて、手すりの設置、風呂場で使用する補助用具を購入し、準備する。

2006年10月、私は、契約期間満了で、仕事を辞め、専業主婦となる。

2006年11月26日、退院
自宅介護が始まる。
ヘルパーさんに入ってもらったが、抵抗し、ケア出来ない時が、多々あり。
入浴介助を主にして頂いた。


2007年1月、普段、かかりつけの病院で、アルツハイマー型認知症と診断される。
内科を受診するついでと言って、騙し騙し!?脳神経外科に連れて行ってのことだった。
アリセプト服用開始。

この頃の母の過ごし方は、一日中、引き出しを開けたり、閉めたり、探し物をするというか、大事なものを隠すというか。
自分で、そうやって、移動させたものが、どこにあるか分からなくなり、仕舞いには、私が盗んだと罵り、責め続けられる。
母親が、私に疑いをかけることが、病気が原因だと分かっていても、納得できず、反抗し、言い合うことが何度もあった。


2007年10月13日、左足大腿骨頸部骨折術後骨頭壊、固定抜去のため、入院。
骨折部位を固定していたボルトが、骨粗鬆症がひどく、骨盤の方へ突き抜けてしまいそうだったため、ボルトを抜いた。

2007年10月27日、退院。
歩けないと思いきや、筋肉の支えだけで、歩けた。
ただし、手すりが無いと、無理。


2008年11月10日、左足膝上骨折。
父が不在の時に、ベランダへ出て、戻ろうとした時、段差に躓いたよう。
認知症が進行し、入院生活は無理との判断。
大学病院から、ケアマネージャーさんから紹介された接骨院にお世話になるようになる。
とても、とても親切な先生で、往診して下さるので、私の負担は、楽になった。
左足の骨が弱いため、特注の装具を作製し、装着するようになった。

母が、左足膝上骨折した同日、父が、胃癌と診断される。
私の今までの人生で、最も、辛い時期が始まる。


2008年12月1日、父が入院。
12月10日、胃を全摘出する。
12月25日、退院。
消化の良いものを調理し、父に食べてもらう。

2009年2月18日、父が再入院。
初期の癌で、全摘出してしまえば問題はないと言われていたのに、悪化する一方。
その後、精密検査の結果、背骨に癌があることが判明する。

2009年3月3日、父の検査結果を持ち、大病院へ受診。
大きな腫瘍で、放射線治療するにも、場所が悪く、高齢なので、治療に耐えられないと判断され、何もできないと言われる。
そんな結果で、転院が出来ず、仕舞いには、入院先の病院から、自宅療養を勧められ、退院を促され、絶望する。
自宅で、父と母を看ることなど、とても出来ず、入院を延ばしてくれるように頼んだり、転院先を探す。
そうこうしているうちに…。

2009年3月27日、父、永眠。
母は、父に面会したけれど、誰が亡くなったか、分からないようだった。
父が入院している間、母は「お父さんは、女のとこへ行って(浮気して)帰ってこない』と激怒。
状況を説明しても、理解してもらえず、私を責め続けた。

こうした、父の入院から他界したことがきかっけで、アルツハイマーは、進行した。
ついに、私が娘だということも分からなくなる。


2009年4月末、ごみ屋敷と化していた実家を片付け、母と同居する。
今までは、同じ建物の上の階に住んでいた。
食事は、自宅で作り、その都度、外階段で、実家に届けていた。
その手間が無くなっただけでも、ホッとした。
がっ、母には、他人が家に入ってきたと思われる。
しばらくの日々、『家を乗っ取る気か、出て行け』と、罵られる。

その頃、父の相続手続きに入る。
父の相続に関して、母は判断能力がなく、また、書類に、自筆で名前が書けないため、成年後見人を立てることにした。
後見人は、私の主人。
家庭裁判所に申し立てるには、医師の診断書、財産目録の作成、母の家系図(すでに亡くなっている、きょうだいの生年月日、没年月日さえも必要だった)等、色々と書類を揃えるのが、大変だった。
その後、やっと、相続の手続きが始められ、結局、なんだかんだで終了まで、1年近く掛かってしまった。

成年後見人の役目は、母が亡くなるまで。
財産管理の報告書を、1年に1度、家庭裁判所に提出しなければならず。
日頃から、入出金の記録を付けなければならず、正直、面倒。


2009年6月23日、デイサービスを利用し始める。
これ以来、入浴は、その施設で、お世話になった。
しばらくの間、抵抗され、行かないことや、着替えが間に合わず、送迎時間を遅らせてもらうなど、ご迷惑をかけた。
慣れるまでには、半年くらいは、掛かった。


2011年3月1日、胃潰瘍で入院。
父が亡くなってから、母は、子どもになってしまい、まだ、自分の父親(私の祖父)が生きていると思い込み、四六時中、『実家に帰る』と言い続けた。
きっと、自宅は、他人の家だと思い込み、私のことも娘だと分からないので、居辛かったのでしょう。
その溜まりに溜まったストレスが、胃潰瘍の原因だと思う。

また、徘徊が酷く、目が離せなかった。
足が悪いので、家の外へ行くことは無いけれど、鍵を何重にもかけていないと、開けて、玄関先まで出て行ったことが何度かある。
また、夜は、冷蔵庫を荒らされて、困った。

こんな毎日だったので、入院は、私の息抜きになったけれど、東日本大震災が起こり、毎日、余震に怯え、気が休まることは無かった。
2011年3月16日、退院。

この頃から、排泄のトラブルが多くなる。
排泄を訴えることができず、こちらもタイミングが分からず。
母が、汚物を触ることもあり。
毎日のように、パジャマ、寝具を汚すことになり、うんざりした。


2011年年5月3日、退院して2ヶ月も経たないうちに、入院。
尿が出ず、腹部膨満感、慢性胃炎と診断。
2011年5月30日、退院


2011年8月~、ショートステイを利用し始める。
以来、月に1~2度、3~8日くらい、預かって頂くようになる。
最初は、スタッフから、問題がある度に、電話があり、不安だったが、次第に、それも無くなり、安心して預けられるようになった。


2012年2月5日、左肩骨折。
段差に転び、肩を強打。
治療は、肩から腕を固定して、安静にするしかないのだか、包帯でぐるぐる巻きにされたことが恐怖となり、暴れた。
結局、骨は付かず、脱臼もし、左肩は、上がらなくなった。
これ以来、母は、自立して歩けなくなった。
お風呂は、デイサービスで利用していたが、骨折が治るまでの間は、訪問入浴を利用。
スタッフの手際の良さに、感心する。

利き手の右は、怪我していないにも関わらず、お箸やスプーンの使い方が分からなくなってしまい、食事を介助するようになった。
そして、徐々に、言葉を忘れ、普通に会話することが出来なくなってきた。


2012年夏頃より、左足に褥瘡ができる。
それ以来、治ったり、悪くなったりの繰り返し。


2012年9月13日、左足膝上骨折(2008年以来、同じ個所、2度目の骨折)
トイレ介助の際、私が母を支えきれず、左足に衝撃を与えてしまい、骨折した。
自宅で介助する時は、装具が面倒。
また、夏の暑さで、簡易装具で蒸れ、皮膚疾患が出来たので、外していた。
やはり、装具は、必要だと実感する。


2014年5月29日、特別養護老人ホームへ入所。
昨年、申し込んだ特養に空きが出て、入所できることに。
本決まりするまで、色々とトラブルがあり、心身ともに疲れ果ててしまった。
今まで、デイサービス、ショートステイを利用し過ごしてきたが、行ったり来たりの移動生活は、かなり負担だったよう。
特養に定住するようになってからは、体力が快復し、排泄のトラブルもなく、元気に過ごしている様子。
会いに行っても、会話は出来ず、何もコミュニケーションは取れないが、大きな問題もなく過ごしていることに、安心している。


…以上、大まかな8年の介護生活の記録です。
(また見返して、訂正するかも)

今まで多くの方々に支えられ、無事に過ごせていることに、深く、深く、感謝しています。
こうしてまとめることにより、忘れていたことを思い出し、困難を乗り越えたきた思いが、新たな力になるように感じました。

また、この記録をお読み下さった方々に、アルツハイマー患者の生活が、こういったものであることを、少しでも関心を持って頂けたら、嬉しいです。
振り返ると、人間が壊れていく過程を見続けた日々のように思います。
どんな病気も辛いとは思いますが、特に、アルツハイマーは、患者も家族も苦しく、日々の生活がその苦しさで追い込まれていく病気であることを、ご理解頂ければ、幸いです。