母が悲しんだ出来事


母は50代の時に、車を買いました。


今まで7人乗りの車でしたが、父が車を乗らなくなり、子育てを終えたので、日常生活やパート先に通う用途だけでよく、燃費の良い軽自動車を選びました。


高齢になってきたので、


「これで車を買うのは人生最後だわにっこり


と言って

パステルカラーの好きな色を選びました。


母の好きな色は私の好きな色でもあります。


というより、母が好きだったその色を、子供の頃の私が好きになっただけのような気もします。


ある日、スーパーで買い物をして帰る際、母が高そうな外車と、駐車場内で出会い頭に接触しました。


お互いスピードは出ておらず、お互いの車が少し凹み、お互いの車体の色が少し付いた程度で、ケガはありません。


相手はちょっと強面な男性。


警察を待っている間に

男性が、

「止まってたのにぶつかってきましたよね?」


と言ってきたそうですが、


母は

「お互い動いていましたし、そちらが順路を逆走きたのでびっくりしました」


と訂正したそうです。


男性は舌打ちをして、

「チープな車なんだから大人しくしとけよ」

とか

「大事な車なのに安い車にぶつけられて最悪だわ」

とか、

「そのぐらいの傷なら修理しなくていいよな」


等と圧をかけてきたそうです。

軽々しく扱われた自分の車に、


母は

「私にとってはとても大事な車なんです!」


と言い返したそうですが

とても悲しい気持ちになったそうです。



結果的には

現場状況をみても相手の方が確実に

悪いと言える状況だったようで、金銭的な負担はごく僅かで済んだらしいのですが、


愛着を持って乗っている

人生最後と決めて買った好きな色の車。


安くてチープだから大事じゃない


と決めつけられ、

大した事でないように言われ、

吐き捨てられた言葉が許せなかったと、


母はうっすら涙目で

私に話しました。


その話を聞いて私は


母をこんなに悲しませて、なんて悪い奴だ!


と思いました。



 反面教師。


 はっと、しました。


お客さんに、


「安い家なんだから文句ばっかり言ってきて、鬱陶しいな」


と思っていた私。


母に、


"安い車なんだから"


と吐き捨てた悪い奴。



その悪い奴と私は


言葉にしていないだけで

同じレベルの考え方をしていたのです。



 考え方を改める


ハウスメーカーの話に戻りますが


"お金をかける程、サービスも商品も良い"

という事は事実であり、物理的に考えて当然の事ではあります。


安い家であれば、高い家と比較すると出来ることが限られたり、品質が満足いくものでない事が起きる可能性が増えてしまうのも当然と言えます。


しかし、営業担当として


"出来ることは出来る限りやろうと思う事"


は安い家でも高い家でも

差をつけてはいけないし、


お客さんは"客"の前に

"人"であるので、


人が愛着を持っているものの値段が

高かろうが安かろうが、その人にとって大事なものならば


"めんどくさい"


で片付けてはいけないなと

感じました。


何を大事にしているかは人によります。


しかし、新築で家を買って大事に思っていない人はいないのではないでしょうか。


愛着があればいろいろと気になるのは当然だな


と、今はそう感じられます。


愛着は"どれだけの思いが詰まっているか"

であり、値段が高いも安いも関係ありません。


私にとっては

その辺で買った宝石よりも、


幼少時に母と河原で拾った石

の方が大切であると改めて認識した出来事でした。


その石をみるだけで家族との思い出が

よみがえります。


以上、前回記事から間が空いてしまいましたが、これに関してはおわりです。



~記事予告~



"愛着なきクレーマーに容赦なし"


は、そのうち書きます。