困ったことになったなーと思った。
朝起きてリビングのテーブルに置いてあった気の抜けた炭酸水を飲む。
水は普通に美味しくて、気の抜けた炭酸水も一緒のはずなのに、
なんでこんなに舌がざらざらするんだろうって思いながら、でも喉の渇きがおさまったあとは、そんなこと秒で忘れる。
カーテンを閉めずに寝る癖、気をつけなよっていつも言われるのに、そんなことが一々難しい。
レースカーテン越しに見える空の色が絶望的に青くて、今度は、ちゃんと困ったことになったなーと口に出してみる。
すぐそこだと思っていた夏だけど、もう来てたんだね。
日中外に出ないからこうなる。今日は、途中で降ろして貰って歩いて帰ろう。
多分私が、もう夏だ、とか、もう秋だ、とかを日に10回も20回も言うのは、
肌で季節を感じられていないからで。
そうして言葉にすることで、せめて季節に乗り遅れないようにしてるみたいだ。
でも、夏は、フェスがあるからいいな。すっごく楽しみ。
最近はもっぱら、新曲のプロモーション。
昨日からはTVの収録も始まりました。フルコーラスで歌わせて貰って、本当嬉し有難し。
ソファから動けずに暫く、カフカの小説を1ページ読んだら、ゲーテの小説を1ページ読む、ふざけた遊びをして。
過渡期だねってみんなに、ライターさんたちにも、スタッフさんたちにも、最近言われることについて考えた。
その意識が私になくて、そう言われるから本当に過渡期なんだと思う。
変わろうと思って変わる良さとは、また違った透明度を持つタイミングだから、
どっちにそのパワーが向かっていくのか、私が一番分からない。
だけど、思う。
私は大事なものを持ちすぎてる。
ないことに飢えているんじゃなくて、あることに飢えてる。
これは、はっきりデビューしてからたくさんの方々の支えがあった中で、
でも逃げずにちゃんとやった自信があるから、胸をはって、あることに飢えている、と言いたい。
さらなる自由の為に不自由の中で育てたことは、今はとても幸せなことだったと思えるし、
そういう時期は様々な形で誰の人生にも訪れるものなのだと、思う。
その時、踏ん張るのか、違う方法で道を切り開いていくのか、はその人次第だ。
私も、その時々で、色んな言い方、見せ方をしてきて、
今思うと、きゃー恥ずかしいってこといっぱいある。
でも、その、きゃー恥ずかしいって思ってしまってる瞬間の自分の歌や考えを好いてくれた人たちがいて、
その人たちが今も私のライヴにきてくれたりする現実がもうギフトだよね。とても嬉しい。
今までは右も左もわかってない10代だったから何かしらのパワーが多分そこに無自覚に生まれていて、でも、それを意識的にすることを、私は選べない。できない。
完璧でいたいってことではなく、生きてるんだから、馬鹿なことしたり、言ったり、恥ずかしいことが実は最高だったり。
上手く言えないけど、満たすことで安心することからはもう卒業しないと駄目だ。
あることに飢えている、ことは、潤うし賑やかななんだけど、もうとてつもない渇きを呼ぶんだ。
それは美しいことで、だから続けられるし、また私はきっとそこに還ってくるけど、今の私より豊かな私でそこに立ちたい。
頭で考えること、心で感じること、をひとつに戻す。
ばらばらに生きていけない。
今日はリハーサルだよ!いっぱい歌うよ。
そしてもし君を許せたら、とMV公開になりました。観てね。