抱えているもの、守っているもの、背負っているものは、みんな違うかもしれない。
でも、どの世代の人も、
自分の精一杯で、泣いて、笑って、転んで、立ち上がっている事は、一緒だと、思う。
悲しみの重さで、世界を生きていたら、動けなくなるよ。
見えるものも、見えなくなるよ。
聴こえるものも、聴こえなくなるよ。
口にする言葉がなくなるよ。
みんな、等身大より、少し大きい荷物に、頭を抱えていて、
みんな、頑張っている。
それが素敵って、私は思う。
同じ悲しみのボールを持って、小学生と大学生が50mよーいどんっ!って走って、
先にゴールした大学生が、小学生に、こんな悲しみも運べないのか、って言うのは、違う気がする。
大学生には軽くても、小学生には重いボールだもの。
悲しみの重さがそれぞれ違っても、
悲しみに立ち向かっている事は、同じなはずなのに。