唯川恵さんの「雨心中」を読んだ。


これまで信じていた愛の定義や固定概念を捨てざるを得なくなる、

容赦ない小説だった。


前に、「好きな人の彼女になれた」、と嬉しそうに友人が報告してくれた事があって。


「良かったね」ってみんなで純粋に祝福しながら、

一瞬、「どうして、そんなに手放しで喜べるのだろう」と自分の心の声を海の底で聞いているような、

不思議な感覚に陥ったことがあった。


生まれた疑問に対しては、とことん考える方なのだけど、

何故かこの時は、本能的にその感覚と向き合う事を止めた、というか、

その感覚そのものを認めたら、最後な気がして、無かったことにした。



のに、この小説を読み終わって、やられた、と思った。



そういう意味で、容赦ない、容赦のない小説だった。



こんな事を書くと、捻くれた奴だ、と言われそうだけど、やっぱり、書く。



大切な人の大切な人になりたい、と普通に考えたら、

喧嘩して、仲直りして、お互いを知って、付き合うか、結婚するか、だと思う。


でも、はたして、付き合ったからって、結婚したからって、

本当の意味で、大切な人の大切な人に永遠になれるのだろうか。


勿論、苦難を乗り越えてこそ、そういう関係に、なんだろうけど、

そこまでたどり着ける人が、どれくらいいるのだろう、と小娘は思ってしまう。


この小説を解説してる、瀧晴巳さんも、

「いくら体を重ねたからって、それがなんだというのだ。

男と女の関係は儚い。どんな恋も、いつかは終わる。」と書いているように、

恋人とか、結婚とか、とっても特別な響きを持っているけど、「本当に永遠」に近いか、と聞かれると、

そうじゃない気がして。


「どうして、そんなに手放しで喜べるのだろう」に隠されていたのは、

恋愛云々じゃない、絆、というか、永遠を願う、欲張りな、自分だった。


そんなの無理、重い、格好悪い、と思うから、なかった事にしたんだろうけど。


映画でも小説でも、「愛」って難しい。

ヒロインたちも、いつも、相手の事を愛しすぎないように、愛しているように見える。


でも、この小説、「雨心中」の主人公である、芳子は、血の繋がらない「姉」という形で、

「永遠」に相手を愛しつづける権利を手に入れる。


「姉」なら、大切な人に愛をいくら注いでも重くない、捨てられることも、裏切られることもない。


永遠に傍にいられる。


2人は決して交わらないけど、それ以上の何かがそこにあった。


理解できるか、できないか、は別にして、うわぁー、って。


でも、こういう愛の形もあるんだな、と思った。


唯川恵さん、はまりそうな予感。